リップクリームの旅 上

#短編 #小説 #思いつき

ドラッグストアで買える、100円のリップクリーム。そいつは田中勇吾のズボンに入っていた。カーキ色のズボンは数日前、無惨に脱ぎ捨てられ洗濯物の山に放り込まれた。部屋の主、山城志乃は彼のズボンやら自分の数日分の服が一緒くたになった山を抱え、洗濯機の中に詰め込んだ。

ゴウンゴウン。ピーピーピー。

山城は、それなりに綺麗になった洗濯物を一つずつ取り出し青い空にかざしていく。

「...あー」

洗濯機の底にあったのはリップクリーム。自分の、約500円するものではない。山城はそれが田中のものであることに気付いた。忘れっぽい彼のことだから、こいつの存在なんか記憶の彼方だろう。

「いちお、LINEで言っとこ」

山城は独り言が多い。
キンキンに冷えた洗濯物を干し続けて、同じくらいに冷えた手を擦り合わせながらスマートフォンを探す。部屋をうろうろしている間、見つけてすぐに机の上に置いたリップクリームが目に入った。手に取り、蓋を外してみる。唇に接する部分を見てみたが、ゴミなどは付いていない。洗濯に回しても中は平気なんだろうか。
クルクル。少し中身を出して、山城はリップを上唇にあてた。
特に水分が多い感じもしない、普通のリップクリーム。使用感を確かめながら、山城は先日触れた田中の唇を思い出していた。唇からはみ出た部分を舌でペロリと舐めとりながら、ベットの上にあったスマートフォンを手にする。

そのリップクリームの使用者は3人になった。


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