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ルクセンブルグ・フランがないっっ。だけど頑張った一人旅。 その2

「えっっ!」
 本当にびっくりした。
「次のスパイヒャー行きの電車は何時ですか?」
 尋ねると、涼しい顔で、
「明日の朝」
 と答える駅員。

 そんなの、ダメ!

 明日は、日本に帰国することになっているのだもの。
 でも車内に座ったまま、いつまでもごねていても仕方がない。車庫に入ると言うので、渋々下車した。

 さて。
 どうしよう。

 もう一度言おう。時は。1991年だ。
 つまり。
 まだ、ヨーロッパはEUになっていない。
 携帯電話もほとんど普及していない時代のこと。当然私も持ってなどいない。
 今だったら、まず事前にWi-Fiの設定をしてネット環境を整え、どこにいても情報を入手できるよう準備をするだろう。困った時には、何かしらの検索をかければ解決のヒントも見つかるはず。

 けれども当時は、連絡手段は限られていた。
 おまけに、ユーロという共通の通貨もない。私は、フランス・フランとドイツ・マルクは持っていたけれど、ルクセンブルグ・フランを持ち合わせていなかった。
 もしかしたら、国境沿いの町ではお互いの通貨が使えるという計らいがあったかもしれない。シンガポールとマレーシアの国境にあるジョホールバルでは、シンガポールドルが使えたけれど、そういう情報もスマホで検索などできないのだ。

 とりあえず琴美ちゃんに電話して事情を説明するのが最優先。そうしないとスパイヒャーに迎えに来て、私がいないとなると大騒ぎになってしまうだろう。
 私は駅の外に出て、公衆電話らしき物を探した。あるにはあったけれど、コインを入れる所がない。これは、どうしたことだろう。 
 近くに立っている紳士然とした男性に尋ねる。こういう時人選を間違えると、トラブルに巻きこまれてしまうので、じゅうぶんに気をつけなければいけない。

 ドイツに電話をしなければならない事情を説明。公衆電話は、日本にもあったテレフォンカードのような物を買わないと使えないと言う。
「それはどこに売っているんでしょうか?」
 藁をもつかむ思いで矢継ぎ早に質問してしまう。
「えーと郵便局で」
「郵便局はどこに?」
「町のセンターまで行かないとないですね」
「どうやったら行けますか?」
「そこの大通りをずーっと下って・・・」
 男性はとても親切に英語で色々と教えてくれた。

#わたしの旅行記

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