小話『店長の正体』
ジェイドは長年の友人であるアントニーに頼み込まれて、ぬいぐるみショップTRAVISで彼を働かせることにした。
ちょうど新しく開くショップの店長を探そうとしていたところだったのだが、確かアントニーの本業は医者だったはず、それもとても優秀な。
無表情で知られるジェイドなので悟られてはいないようだが、目の前で楽し気にコーヒーを啜るアントニーに対して、疑問やら質問やら色々な感情が渦巻いてしまい、頭の中はすっかり混乱していた。
「アントニー、その…本業の方は大丈夫なのか。確か、君は医者…」
「大丈夫大丈夫、優秀な弟子がいっぱいいるからね。私がいないでもうまく診療所は回っているんだよ」
「弟子にちゃんと言っているのなら良いが、何も伝えていないのなら心配するぞ」
「ちゃんと連絡してるよね、みんな『行っておいで、頑張って』と送り出してくれた」
「…」
多分、嘘に違いない。
けど、噓をついてまで店で働く意味は何なのか。もしや医者を廃業するということなのだろうか?
「身を隠す必要があるのか」
「いや、全然。私はね、強面ジェイドとは違うからね。素行は良好、心も清らか、万事オーライ」
そう言って、ドクター・アントニーはニヤッとした。昔から、どこか掴み切れない性格の男であったが、彼も複雑なミッションを背負っている同志であるから、何か困ったことがあったら力になってやりたいと常々ジェイドは思っていた。
「とにかく、ここでは“ただのアントニー”として働くということだね。医者であることは黙っていくということか」
「そうそう、ここでは“ただのアントニー”。おっかない無口のオーナーに頭の上がらない、ビクビクした気弱な店長を演じるね、私は」
「それは..」
「その方が私が活躍しやすいだろうし、他の従業員の不満も聞きやすいしね。楽しみだね、新しい世界の幕開けだよ。週4日勤務で宜しく」
自分の言い分だけをジェイドへ投げ捨てて、“ただのアントニー”はすたすたと部屋を出て行った。
言葉の上手くないジェイドは話そうと口を開くたびに、ドクター・アントニーに話を持っていかれて、結局数々の質問を言えずじまいだった。
「?」
アントニーに出したコーヒーカップのそばに、小さな星の紙細工を見つけた。甘党のアントニーにスティック状の砂糖の包みを渡したのだが、その包装紙で話をしながら作ったらしい。
ジェイドはふっと笑うと、その星細工を黒いジャガードのジャケットの内ポケットにしまった。
(完)
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