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シャネルと麗しの君

まるで、かつての恋人を忘れられない男のように大切にしている一枚の写真がある。
デジカメを持っていなかった当初、携帯電話の写真で撮った画素の荒いそれは私の大学生活の想い出の一つだ。
それもほろ苦い。


高校時代、私は夢のために推薦で明治大学に進学しようとしていた。第一次の試験に合格し、第二次もほぼ確定していたというのに、急に母が若い頃から行きたかった女子大への入学を私に強く勧めはじめて、進学についてそれはもう毎日バトルを繰り広げることになった。結果的に父が母に加勢したことで私の明治大学進学は儚く消え、母お墨付きの件の女子大への進学が決まった。

思っていた未来と違う、その現実を受け入れるのに随分の時間がかかるだろう。
浮かない気分で入学式にやって来た私は校門の前まで送って来た父に手を振って別れようとしたが、流石女子大、両親や祖父母、兄弟と連れ立ってくる生徒たちがとても多く、その場の空気に逆らえず父も急遽入学式に出席することになった。
すると、

「おっと」

父の身体に衝撃が走り、思わず隣にいた私もつられてよろける。

「あ、すみませーん、ごめーんなさい」

父にぶつかってきた女性が明らかにイントネーションの違う謝罪の言葉を発し、私と父は思わず声の方向へと顔をむけた。すると、すまなそうな表情をして外国人の中年女性が立っていた。道理でイントネーションが違う理由がわかったと納得していると、「本当にすみません。ママ、ちゃんと前を見て歩いてね」、「妻が失礼しました」という朗らかな声が続いた。父親と一緒にその外国人女性に声を掛ける娘らしき女性。その姿を見て、私は目が点になってしまった。

“何という絶世の美女なのだろう”

受験勉強に明け暮れ、歴史研究会の部活に勤しみ、服はおろか外見なんぞまったく構ってこなかった私は、黒のシャネルのスーツを身に着け、8㎝のルブタンのパンプスを履きこなす同い年とは思えないほどのオリエンタルな美しさを放った彼女に釘付けになっていた。まるで、恋に落ちたかのような強い衝撃と共に。

その一家が会場へと颯爽と歩いていく後ろ姿を眺めながら、父が「なんか、お前、ここでやっていけるか? どう見ても服装と生活レベルが違い過ぎる」とぼやいた。だから言ったじゃないか、ここの大学には入りたくないって、と小さな声で呟く。何せ、ゴージャスなのは彼女たち一家だけじゃない。入学式に来た生徒たちの8割がブランド物のバッグや服を身に着けていて、ましてその親は見ただけで生地の質感がわかるような高級スーツをパリッと着こなし、明らかに生活レベルはおろか職業すらハイクラスとわかる人達ばかりなのだ。

「身の程知らずの私がどこまでここの大学でのし上がっていけるかね」
「いや、無理しなくて良いよ。二年までいて、どこかの大学に編入してもいいし」

入学式早々、そんな会話を繰り広げている親子がいたとは、きっと誰も知らないだろう。

入学後、私は周囲の華やかさを目に入れないようにして勉強だけに勤しんだ。あまりに価値観や生活が違い過ぎて、自己憐憫に陥りそうだったからだ。長期の休み中はちょっとしたアルバイトをして、その他は勉強のみの生活。大学院に進学したかったから成績を落とすわけにはいかなかったし、何より目の前にあることにがむしゃらに取り組むことで、母が壊した私の夢を必死に拾い集めようとしていたのかもしれない。だが、その私の心をぐるぐるとかき乱すのは校舎で出会う“彼女”だ。

大勢の取り巻きを連れて、その中心で光り輝いているのは入学式の時に出会った彼女。彼女の取り巻きは彼女に釣り合うような生活レベルの人たちで、全員がつま先から頭の先までブランド品で身を固めている。その華やかさから私の友人達は彼女達を「お貴族様」と呼んでいた。何せ、彼女達とすれ違うと嗅いだことのないような豊かな花の香りに包まれるからである。

度々授業で彼女と一緒になることがあったが、彼女の取り巻きがおしゃべりに興じているのにも関わらず、彼女は熱心にノートを取っているのをよく見かけた。実は外見だけではなく頭も物凄く良かった。私が思いがけず成績優秀者を受賞した時、他学科の優秀者として選ばれたのが彼女だった。私が外見にも構わず死に物狂いで勉強していたのにも関わらず、彼女は美容とファッション、合コンと大学生活をエンジョイしながら私よりずっと上の成績で受賞していたのだ。その授賞式で彼女がはらりと脱いだ黒いロングコートにはシャネルの大きなタグが付いていて、耳元にはディオールのピアスが揺れていた。すると、後ろにいた知人が「彼女、どこかの王室の奥さんにピッタリだと思う。綺麗」と呟いた。

そんなこんなで私の学生生活は四年を迎え、めでたく卒業となった。
「パーティドレスにしなさい!」と叫ぶ母の反対を押し切って振袖で卒業パーティに乗り込んだ私は友人の「あ、知り合いがいる。一緒に写真撮ろう」という言葉につられて、のこのことその後をついて行った。そして驚いた。友人の知り合いというのが彼女だったのだ。

冒頭に記した一枚の写真はその時に撮られたものだ。

キラキラと輝く深紅のロングドレスを身にまとう彼女と和服の私。同じ空間で学んでいたというのに、まったく違う世界を生きている私達。きっと向こうは私のことを沢山いる信奉者の中の一人としか思っていないはずで、名前も顔も知らないだろう。だが、私にとっては彼女は沢山のことを教えてくれた存在だ。それは初めて誰かに憧れるという気持ちと、高貴で優雅な生き方、お洒落をするという女性としての意識、そして挫折。

社会に出て勤め人となってから、実家にお金を入れつつ余ったお小遣いで欲しいものを買える身分になった。ブランドのバッグや財布、ご褒美のアクセサリーと色々なものを買った。だが何故か、シャネルだけは買ったことが無い。

「リップやファンデーションとかの小さいものでも毛嫌いしないでシャネルを買ったら宜しいのに」

イギリス人の友人がそんなことを言うが、シャネルを身に着けた自分が身の程知らずのような気がしてどうしても手を出したくないのだ。

「アラフォーになったというのに、十代の時の衝撃をまだ引きずっているなんて馬鹿でしょ私」
「そうですかね、私はそう思いませんよ。きっとあなたは身分について人生で初めての挫折を経験しただけなんですよ。私も口に出さないだけで一つや二つありますけどね。ただきっと、あなたの場合はママのいうことを聞いて自分の行きたかった大学を捨てたのになんだかその後のママのアフターフォローがまったくなくて不満に思ったことと、ご一家でゴージャスな彼女を見たことで身分のこととか、家族としての在り方も加わって落ち込みが増長しちゃったのかもしれないですね」

そう言いながら、友人は私の背中を叩いた。口下手な私が上手く表現できない様々な感情を繊細に読み取ってくれる人だと、友人の言葉に深く頷く。


「心の整理がついてシャネルを買ってみたいと思える日まで、心の成長を止めないで生きていきましょう」
「そうねぇ、そんな日が来るかしらねぇ」
「来ますよ、絶対に」

ファッション誌の1ページに出ていたシャネルのコンパクトを眺めながら、いつかシャネルを素直に”欲しい”と思える日が来るのだろうかと先の自分を想像したのだった。


《終》

~おまけ~
京都の友人(以下、京)「いややなぁ、大学にそない豪華絢爛な女がおったの?」
私「あまりに綺麗すぎて、自分が生きていること自体恥ずかしくなるようなレベルだったのよ」
京「そない美人がおるなんてビックリやわ」
私「でしょ? だってねぇ・・・」
京「うちより綺麗な人がこの世におったなんて、一度お目にかかりたいぐらいやわ」
私「えっ???」
京「うちは着物もバッグも天下のメイドインJAPAN、生まれも育ちも京都。外見も内面もうちに太刀打ちできるおなごがまだ日本におったなんて、ほんま気になるわぁ。だってなぁ、うちほど完璧な人はおらんと思っていたから」
私「(凄い自信。というか、白雪姫の継母じゃないんだから、目ヂカラ強すぎて怖いんだけど)!」
イギリス人の友人「・・・・!」←(笑い転げている)


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