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心のリフレッシュと京都の友人


『あかん、うちもうダメやから、旅に出る』
「旅!? 何処に!?」
『二週間四国に行く。後はよろしく』
「えっ、二週間って〇〇ちゃん(京都の友人のこと)、仕事は大丈夫なの!?」
『ツーツー(電話の切れてる音)』

いつものことだからもう心配はしていないが、京都の友人はこのようにして突如行方不明になる。私はその奇々怪々な連絡をうけると決まって、「職場は大丈夫なの!?」と叫んでしまうのだが、そうすると必ず「大丈夫や。うちがおかしくなったのはみんなわかってんねん」と返ってくるから、旅立つ前に色々準備はしてあるのだろう。

京都には年間を通じて国内外の様々な観光客が訪れるわけで、不思議な力のある京都の友人はそうした観光客の連れてくる“霊”や“精霊”といったもの、先祖の因縁めいたものなどをふとした拍子で“視て”しまうらしい。仕事の都合上、何かを“視て”しまっても避けることはできないため、特に観光客の増える旅行シーズンには色々な意味で疲労困憊するという。

一度、京都の友人からこんな話を聞いたことがある。

「国内外からとんでもない数のお客さんがやって来るやろ? 繁忙期になると限られた従業員で対応せなあかんし。おまけに外国のお客さんは文化が違うから、トイレの使い方とかとんでもないことをしはるのよ。『何でこないことしたの』って使い方をするもんやから、みんなで苦労しながら掃除する。灯篭の上によじ登ったりするのを注意したり、調度品を持って帰るのを止めたり。職場全体が精魂尽き果てて、空気が澱んでくる。おまけにうちはその観光客の“何か”を“視て”しまうもんやから、一度切り替えへんと、メンタルやられんねん」

それを聞いた時、この百戦錬磨な京都の友人でもメンタルがやられそうな時があるのかと驚いたものだ。なので、観光シーズンがひと段落すると、京都の友人は必ず長期休暇を取る。それが冒頭の私達の会話へとつながるわけである。

“心をリフレッシュするためには海に行くと良いよ。母なる海は心の中に浮上してしまった辛さ、悔しさ、憤りなどの苦しい気持ちを洗い流してくれる”

これは、やはりスピリチュアルな力がある知人の言葉。この知人は私の親戚を介し知り合ったのだが、何と実は京都の友人の身内だったという、それこそ導かれた様な因縁がある。

京都の友人が休暇先に四国を選んだのも、きっと心身の浄化を目的として海を求めたのだろう。京都にも海があるのにあえて四国を選ぶのはきっとそこにお遍路道があるから。京都の友人は西国巡礼をライフワークにしており、時間ができると八十八カ所を回っている。

父が広島出身なので瀬戸内海に所縁のある私は四国も馴染みのある場所。特にしまなみ海道を走る時、あの突き抜けるような潮風の感覚は未だに忘れることはできない。心身が解放されてすっきりとした気分になるのが手に取るようにわかるのだから。


そして、あの酷い声の電話から二日ほど経って、京都の友人から連絡があった。それもハイテンションな。

『生き返ったわぁ。うち、もう死ぬかと思ったのよ』
「また、大袈裟な」
『香川でうどんを食べまくったから、今度は何食べに行こうか。鯛そうめんとじゃこ天と、あとお菓子も食べたい』
「美味しそうなものばかり言ってるし、羨ましいなぁ」
『eveも旅に出ぇや。旅は人を大きくするし、心も体もリフレッシュさせてくれる。うちがおるんやから、京都に来ればええねん。うちの家の近くの旅館が、ええ味出してるのよ』

家に泊まりに来いとは言わないところが京都の友人らしい。そこがミステリアスで良いのだけれど。

『eveにお土産、買ってあんねん。こっちからレターパックで送るから、ちゃんと家におってよ』
「レターパックで送れるものなの? 何を送ってくれたのかな」
『ひ・み・つ』

すると受話器からくしゅん、とくしゃみが聞こえた。一人旅なのか二人旅なのかは聞けずじまいだけど、友人が楽しんでいればそれでいい。

数日後、善通寺のお守り、うどん、ご当地スヌーピーのシャーペンなど色々なものが入ったレターパックが届いた。レターパックの中からは品物だけじゃなくて、京都の友人の意気揚々とした気配まで送られてきたようだ。

「なんか、こっちまで元気になった」

次の休みに、海を感じに出掛けようかなと思った。
近場だと、神奈川かな?


2024年3月9日
昨日は雪が降ったのに、今日は快晴の洗濯日和。
移り変わる天気に振り回される私。


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