「アネノデンチ」 本編

 誰だって人生の脇役(モブ)になんか生まれたくない
 自分は大したもんだ、って心の底じゃそう思っていたい
 でも、この学校じゃ一人を除いて全員が知っている。自分は主役じゃない、って
 たった今
 この学校の主人公が、校舎の窓の外を地面に向かって落ちていった
 

 
 高校の授業中。ノートを取っている岩倉悠希(いわくら はるき)。
 ふと教室の窓に目を向けたとき、窓の外を落ちていく少女と目が合う。
 この学校のスーパースター、天羽夏湊(あもう なつみ)だ。
 少女はゴーグルを着けていて、この学校指定のセーラー服を身につけていた。長い髪とスカートの裾が激しくたなびいている。
 悲鳴を上げるクラスの女子。飛び降りだ、という声。クラス中の視線が窓の外に集中した。傘状に広がったナイロン製の大きな布が窓の外いっぱいに広がっている。
(パラシュート……?)
 悠希、他の生徒と一緒に思わず窓際に駆け寄る。そのときには夏湊は着地していて、学校の中庭いっぱいに広がったパラシュートの布に描かれた文字が目に飛び込んでくる。
「11月12日 文化祭 コラテラル ヨロシク!」。
 頭がくらくらして悠希は思わず頬を引き攣らせる。
「バンドの宣伝かよ……」
 中庭の反対側、上級生のいる校舎から拍手と歓声が上がる。夏湊はパラシュートの下から這い出してきてダブルピースを向ける。
「あんまり見ない方がいいぞ」
 声に振り返ると、たった一人、机にかじりついているクラスメイトがいる。悠希と同じ軽音楽部の一年生、後藤。
「将来(さき)のないヤツと自分を比べても意味ないだろ」
 天羽夏湊は先天性の心臓の病気を患っていて、二十歳までは生きられない。
 

 
 次の休憩時間に外に出ると中庭のパラシュートはすっかり片付けられている。悠希は中庭で落ちている手帳を見つける。赤い革の表紙にBucket Listと描かれている。拾おうとしたとたん天羽美凪(あもう みなぎ)に手を踏まれる。
「痛……!」
 苦痛の叫び声は途中で消えてしまい、悠希は目を見開いた。
(……“電池”だ)
 そこに立っていたのは地味で目立たなそうな天羽夏湊の妹。話したことはない。この学校では誰も“電池”とは友達になろうとしないからだ。
「他人(ひと)のものに勝手に手を触れないで」
「自分の手帳だって云えばいいだろ、手を踏まんでも!」
「それはわたしの手帳じゃない」
「じゃあ……いったい……」
 悠希はさらに踏みつけられて悲鳴を上げる。
「余計な詮索はしないで」
「いい加減にしろよ天羽! 天羽美凪」
 痛みが突然消える。
 美凪、足をどけると、手帳を拾って立ち去ろうとする。
 美凪は頭だけ振り返る。笑っていた。
「わたしを見て“電池”って呼ばない人は久しぶり。そこだけは良かったかな」
 立ち去る美凪を呆然と見送る。
(あいつ、綺麗な声してたな……)
 午後の授業開始のベルが鳴る。



 放課後。音楽室。悠希たち軽音楽部の一年生三人が集まっている。練習を始める前の雑談が長引いている。
「サンディエゴ……ってどこだっけ?」
 他の二人の話を聞いて悠希が云う。
「アメリカ。そこに訓練飛行場があるんだってよ。精密着陸(アキュラシー)の指導を受けてきたって。二週間」
 答えたのは三人目の部員、谷尾だ。背が低く、超短髪。
「生徒会長をクビになったと思えば、教室で満漢全席パーティー。プールにアオサギを二百羽放つ。飛行機をチャーターして学校にパラシュート落下。ウチの部よりよっぽどロックしてるぜ」
「仕上げがウチの先輩たち引き抜いて文化祭でライブか」
 悠希、壁のポスターに目をやる。コラテラルというバンド名。センターで笑っている夏湊の背後に控えているのはちょっと前まで悠希と同じ部室で演奏していた部の先輩たちだ。
「なぁ、やっぱりボーカルひとり入れないか?」
 悠希が云う。彼は残り物バンドのメインギター兼ボーカルだ。
「ハルタ先輩の抜けた穴がデカすぎる。おれの実力じゃあギターで手一杯だ。歌ってたら指が追いつかないよ」
「テキトーでいいじゃん。どうせおれたちゃ前座だし」
 谷尾が云う。
「あーあ、雷でも落ちて文化祭がめちゃくちゃにならないかな」
「何それ」
 突然、音楽室のドアが開いて、天羽美凪が現れる。驚く三人。
「いまのは何? テロの予告?」
「え、いや、ただの恨み言だけど」
「恨み! やっぱりロクでもないこと考えてたんじゃない。お姉ちゃんのバンドに前座がいるって聞いて、様子を見に来てよかった」
 美凪、そう云って三人を睨みつける。
「文化祭当日まで、あんたたちのことしっかり監視させてもらうからね」
 悠希、美凪のことばも耳に入っていない。ゆっくり美凪の前まで進む。
「何? 近いよ」
「綺麗な声だ……」
 悠希のことばに美凪が顔を真っ赤にする。
「はぁ?」
「なぁ、うちのボーカルにならないか」
「なっ……!」
 美凪だけでなく、うしろの二人も息を呑む。
「血迷ったのか、悠希!」
 叫んだのは後藤。美凪はしばらく考え込んでいる。
「いいよ」
 美凪はうなずく。
「あなたたちは危なっかしいし。そばにいた方がいいかも」
「ありがとう!」
 悠希、満面の笑顔で美凪の両手を強く握る。美凪が照れる。
「だから近いって!」
 

 
 翌日、校庭の外部特設ステージ。文化祭前にすでに完成している。まだ何もない広い空間を、悠希と美凪が歩いている。
 何かを思うように遠い目をする美凪に悠希が訊ねる。
「一応聞くけど……うわさは本当なのか?」
「“電池”のこと? 本当だよ」
 美凪は自虐的な微笑を浮かべる。
「お姉ちゃんは生まれつき心臓が悪かった。助かる方法は心臓移植だけ。だからお母さんは二年後にわたしを生んだ。お姉ちゃんの心臓が止まったときに、適合率100パーセントの心臓を用意するため。まるで予備の電池を買っておくみたいに」
「……ひでぇ親だ」
「本人に云ってやりなよ。お母さんなら家の仏壇でいつも笑ってるよ。お父さんは仕事が遅くてめったに顔を合わせない。でも誰に文句を云っても変わらない。わたしはお姉ちゃんの電池。それでいい」
「お姉ちゃんのこと、好きなのか」
「毎日死んでくれないかなって願ってる」
 美凪はそう云いながら笑う。
「疲れるんだ。他人の心臓を抱えて生きるのって」
 悠希はなんと云っていいかわからず、黙って美凪の横顔を見る。
「風が冷たくなったね。練習に戻ろうよ」
 

 
 一転してコミカルなシーン。歌を歌う美凪の頭からボン、と蒸気が上がり、音楽室の床にへたり込む。
「どうした、美凪」
「毒気が抜かれる。熱が出て来た」
 やつれた顔で首を振る美凪、急に背後の後藤を睨む。
「作詞はあんたでしょ、愛だの絆だの運命だの、よくこんな歯の浮く歌詞が書けるね」
 後藤、頬を赤くして頭を掻く。
「いやぁ……」
「照れんな。ぜんぜん褒めてないから」
「ちょっと休憩しよう。保健室で氷と頭痛薬もらってきてやるから」
 悠希、保健室へ。薄暗い部屋で人の姿はない。カーテンが閉ざされたベッド。その中からかすかな咳払いの音がする。目を見開く悠希。カーテンを開けると天羽夏湊が寝ている。ぐったりした様子。青い顔色。枕元に広がった長い髪。
「きみ、デリカシーがないね」
 夏湊が云う。
「女の子が横になってるんだから、開ける前に声くらい掛けなきゃ」
「天羽先輩……」
 夏湊の呼吸は尋常では無い。顔中に汗が浮かんでいる。
「すぐ、人を呼んできます」
 踵を返そうとした悠希の手を夏湊が握る。
「行かなくていい。このガラクタみたいな身体のことは良くわかってる。しばらく休んでれば楽になるから……岩倉悠希くん」
「どうしておれの名前を?」
「手帳を拾ってくれたのはきみでしょ。美凪がそう云ってた」
「あの赤い手帳ですか?」
「そう。あれはいまどこにあるの?」
「美凪に奪われたきりですけど」
 夏湊はベッドに横たわり、短く笑う。
「やられたなぁ、嘘つきめ。あの子が何も云わないってことは、中身についても察してるんだろうなぁ……」
「あの手帳、一体なんなんですか」
「死ぬまでにやりたいことリスト(バケットリスト)」
「死ぬ、って……」
「わたしは妹の心臓を受け取るつもりはないの」
 淡々とした表情で夏湊はそう告げた。
「小さい頃、心臓のことを知ったときにはもう決めてた。だからそのぶん好きに生きてきたんだ。何も悔いを残さないように」
 夏湊、急に激しく咳き込む。悠希、思わず手を伸ばすが、夏湊はその手を振り払う。
「こんなところで時間をムダにしていいの? コラテラルは本気で行くよ。わたしの最後から二番目の願いは『文化祭でいちばんに目立つこと』。前座なんか潰してやる」
「上等です。受けて立ちますよ」
 夏湊、にやりと笑う。
「男の子だね。いい顔になったよ」
 

 
 それからの数週間、悠希たち四人は文化祭に向けて全力で励む。外が真っ暗になっても音楽室で練習。体力増強のためのランニング。廊下に並んで発生練習。やがて文化祭当日になる。
 演奏シーン。客は冷めきっているが全力を尽くして演奏する。
「次が最後の曲です」
 額に汗を流した美凪がそうマイクに呟いて、悠希はギョッとする。
「おい、美凪! もう予定の三曲ぜんぶ終わったぞ」 
 美凪はこちらを見ない。
 美凪の手には発信器のようなものが握られている。
「愛する姉に捧げます。曲名は『もうパーティはおしまい』」
 スイッチを押す美凪。ステージのあちらこちらで美凪が仕掛けた爆発物が爆発し火柱が立つ。アンプが爆発する。ステージの上は爆発音と煙に満たされる。
 朦々と立ち上がった煙を割って、ステージ衣装に身を包んだ夏湊が歩み寄ってくる。
「やってくれるなぁ、美凪ちゃん」
 何が嬉しいのか、夏湊はにこにこ笑っている。
「最初からこれをやるために悠希くんたちに近づいたんだね」
「お姉ちゃんに自殺なんかさせない」
 美凪が真顔で云う。
「あの手帳の願いをぜんぶ叶えたら、死ぬつもりだったんでしょう。これでお姉ちゃんの希望はひとつ消えた。あなたはもう、わたしから心臓を受け取っておとなしく百歳まで生きるしかないの」
「すごいよ、美凪ちゃん、ぜんぶ大ハズレだ」
 夏湊はそう云って右手を高く空に掲げる。
「わたしは自殺なんてしない。あなたの心臓を受け取る気も無い。そしてわたしの望みはぜんぶ叶う」
 空を割って近づいてくるヘリコプターの爆音。突然の突風に吹き飛ばされないように、悠希はその場に踏ん張る。真上からタラップが投げ入れられる。
 勇気は夏湊の云ったことを思い出す。夏湊の望みはバンドで歌うことなんかじゃなかった。
 文化祭でいちばん目立つこと。
「長生きしてね、美凪」
 美凪に笑顔でそう云って、夏湊はタラップに飛び乗る。ヘリコプターはぐんぐんと高度を上げていく。
 唖然と立ち尽くしていた美凪、急にマイクに飛びついて空に向かって吠える。待ってお姉ちゃん、大好き。大好き!
 マイクの電源はとうに落ちている。だけどどんな曲よりもその叫びには美凪の魂が籠もっていた。
 天羽夏湊は昇天し、その消息はぷっつりと途切れた。
 

 
 三日後の放課後。校庭のベンチに美凪がうずくまっている。美凪に近づく悠希。
「おい、部活の時間、もう始まってるぞ」
「……わたしってまだ軽音楽部なの?」
「あたりまえだろ。ボーカルはおまえしかいない」
 美凪の隣に座る悠希。
「……怒ってる? あんたたちを利用したこと」
「べつに」
「わたしさ、生きてる理由が無くなっちゃった」
 美凪、手帳を取り出し、悠希に渡す。
「お姉ちゃんのやりたいことリストの最後、あんたが消してくれない?……わたしにはどうしてもできない」
 何十ページにも及ぶリストにはすべて斜線が引かれている。
 最後から二番目の願いは「文化祭でいちばん目立つこと」
 そして消されていない唯一の願いは「美凪を自由にする」だった。
 悠希、斜線で最後の文章を消す。
「なぁ、美凪、この手帳の続きはお前が書けよ」
 悠希はそう云って、美凪に手帳を返す
「やりたいことみつけて。天羽先輩みたいに強欲に生きろよ。できるだろ?」
「やりたいことなんてないよ。明日生きてるかどうかもわからない」
「それは」
 悠希、美凪の胸を指す。
「自分の心臓(むね)に訊けよ」
 美凪、自分の左胸に両手を当てる。
 とくん、とくん、とくん……鼓動が美凪の両手に伝わる。
「あはっ」
 美凪、笑いながら涙を流す。
「動いてる」
 
(了)

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