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イギリス南西部 - 1本のりんごの木から始まる物語

イギリス・オーガニックシードルの最高峰といわれるダンカートン・シードル。世界各地での受賞歴を誇る彼らの物語は、1980年、BBCで⻑年ドキュメンタリー番組制作に携わってきたアイバー・ダンカートン⽒が、家族と共にロンドンを脱出するところから始まります。

ロンドンからヘレフォードシャー州へ

敏腕プロデューサー兼ディレクターであったダンカートン⽒は、妻、そして⼆⼈の多感な10代の息⼦達、そして90歳にもなる⺟親を引きずって、イングランド南西部の⽚⽥舎、ヘレフォードシャー州ペンブリッジ近くの⼩さな家に移り住みました。

ダンカートン・シードル生誕の地、ペンブリッジ

当初は、牧畜で⽣計を⽴てようと⼭⽺3頭、⽜2頭、豚2頭、⽺20頭、ロバ1頭を購⼊したダンカートン氏でしたが、⾁を売るにも、お乳を絞るにも⾜らず、家畜たちは共に暮らす家族以上の役割を果たしませんでした。頭を抱えた彼は、ふと畑に⽬を向けてみました。そこにはたった1本のりんごの⽊が、ポツンと寂しそうに佇んでいたのです。

「りんご…そうだ、りんごだ!」

⼟を取り戻す

ヘレフォードシャーという⼟地には、豊かな果樹園がそこかしこにあり、歴史的にシードルづくりが⾏われていました。伝統的なシードルは、りんごそのものを天然の有⽤微⽣物で発酵させてつくる発酵⾷品です。ところが、その当時は、濃縮果汁や添加物、砂糖を使う、いわば「⼯業製品」のような飲料を作る業者がほとんどでした。

たった1本のりんごの⽊は、もはやダンカートン⽒の⽬には、多様な⽣物が⽣かし合う豊かな果樹園としか映らなくなっていました。「畑の⼟を、⽣きた⼟に戻そう。多様な微⽣物と野⽣動物達、植物、そしてりんごが⽣かし合う果樹園から、伝統的なシードルを再⽣しよう」

ダンカートン・シードルの果樹園

オーガニック栽培は難しいと⾔われているりんごですが、ダンカートン⽒の粘り強い性格と研究魂が、諦めを許しませんでした。伝統的な地元産のりんご品種を選び、栽培にも⽣産にも⼀貫して農薬や化学肥料などの化学物質の投⼊を排除しました。

ダンカートン⽒は、⼟こそが良いりんごを作ることを知っており、当初から「⼟壌協会(soil association)」のメンバーになり、厳格な基準を守りながら、独⾃の栽培⽅法を探求していったのです。

⼟と⽣命の交響曲​

農薬や化学肥料を使わず、⼟壌を豊かにする微⽣物が⽣き、⾃然の循環が起きた畑から収穫されたのは、りんごだけではありませんでした。

⼟を掘り起こすとうごめく⾍達や花粉を運ぶ蜜蜂の⽻⾳。⼟に栄養を補給し、決して「雑草」などとは呼べない植物や⾊とりどりの花々。卵を産みに来る⿃達や草を適度な⾼さに⾷んでくれる動物達。そして、りんごを収穫するダンカートン⽒と妻のスージー、そして仲間達。

ここでは、あらゆる⽣命が、⼟を真ん中に新たな⽣態系を形成していました。何⼀つ無駄はなく、全てが⽣かし合い響き合い、歓喜と共に、命の交響曲を奏で始めたのです。

無農薬の果樹園は動物たちの楽園となりました

⼟ごと飲む、シードル​

ダンカートンシードルを通して、私たちは、⼟を飲んでいます。

りんごの⽊がみずみずしく豊潤なりんごの実をつけるには、⼟の豊かさが⽋かせません。⼟は、その⼟の上に暮らす植物や動物などの有機物を、⾍が分解し、⼟壌の微⽣物が発酵させることでできています。りんごの⽊は、⼟に根をおろすことで、微⽣物が⽣み出した栄養分をぐんぐん吸収し、健康な果実をつけるのです。

りんごの発酵には、最も酵⺟特有の⾹りのクセがないものを使うのものの、⼟に落ち、⼟地特有の微⽣物を纏ったりんごは、その⼟地独特の⾵⼟を奏でるシードルになります。シードルを飲むことで、私たちは、その⼟地の⼀部を取り込み、⽣態系の⼀部となるのです。

ダンカートン⽒は、83歳にして⾻⾁腫で息をひきとることとなりました。妻スージーも程なく引退し、今は、息⼦のジュリアンが家業を引き継いでいます。ダンカートン⽒が⽣み出した新たな⽣態系は、イギリスでとても尊敬されるオーガニックシードルを通じて、今も絶え間ない循環を保ち、⽣き続けているのです。



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