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★キャンピングカー生活まであと124日★「運」

あした何の日?

こんにちは。
ここ数日また更新滞っておりまして申し訳ありません。(本来の毎日更新からマイナス10日以上空いており、少し焦りが出てきました...)

今日のテーマは「運」です。

私が今回このテーマにした理由は、形はどうあれ、何かを成し遂げている人は「自分はラッキーなことに」とか「たまたまツイていて」と口にすることが多いような気がしたからです。

もちろん、その人がラッキーなだけで何者かになれているとは思いません。メディアや他人に見せない努力や習慣があるとは思います。世の中運だけで勝ち登っていけるほど甘くない。

でも「運」というものも少なからず作用していると思う。

それでいえば全人類選ばれてこの世に生まれ落ちてるんだから、生まれた時から強運を勝ち取った存在なのだろうけど。

「運」ってなんだろう。

努力やスキルが自分でコントロールできるものなら、運はもはやコントロールできない外的要因。

それってひたむきに努力やスキル磨きを続けてきた人が、可哀想じゃないか。
運が良い人が成功するなら、今やっている努力なんか意味がないじゃないか。

昔の自分ならそう思っていたかもしれない。
だけど今なら少し違う考え方ができる気がしている。

先ほども言ったように、確かに「運」は何事にも作用していると思う。

私が考えるのは「運は様々なタイミングで自分に与えられているけど、その運がどう作用するかは現時点の自分次第」というもの。

この考えはパラレルワールド的な思考からくる。

今の自分がAだとする。
今の自分よりもっともっと知識やスキルを付けている状態の自分をBだとする。

Aの自分もBの自分も、ベースの性格やそれまでの育ちなどは同じで、知識やスキルを身につけるために努力した時間だけが違うとすれば。

例えば両者に、友人から飲みの誘いが来たとする。
その友達は、自分の知り合いを何人か交えた交流の場にしたいという。

Aの自分もBの自分も、特に知り合い以外との飲み会でも構わないと、その飲み会に何の不満もなく参加する。

そして飲み会当日。
友人の他に来た人の中に、"たまたま"会社を経営している人がいて、"たまたま"従業員を増やしたいという社長がいたとしたら。

(これだけでも、経営者と飲む機会が回ってきた、という運ははたらいていると思う)

Aの自分は「経営者すごいなー、そんな世界があるんだー」で終わってしまいそうだ。
対してBの自分は"たまたま"社長が求めているスキルがあり、話がどんどん専門的に盛り上がっていく可能性がある。そのままリクルートされるかもしれない。

運が作用した時、自分の状況によって選択肢が広く持てる。

運×自分=将来の可能性

運はコントロールできない。(そこに関してスピリチュアル的な考えは今回持ち込まない)
しかし自分の選択は努力次第でコントロールできる。

だから結局、人にできるのは「×自分」のところだけだ。極端な話「運=0」だと、いくら努力しても無駄になってしまう。

少なからず運が作用しているというのはそういうこと。残念ながらこの世は平等ではない。

努力すれば報われる、という言葉は嫌いだ。
もしそれが言いたいなら「努力すれば報われる可能性が上がる」まできっちり言ってほしいと思う。

努力を無に帰してしまう、運の無さというものが存在する。

だけど私は「自分は運がある方だ」と思う。
強運というのは天性のものかもしれないが、そもそも強運だと思える気持ちが強いのだと思う。

自分のことを強運だと思うだけで自信につながる。
賛否ある言葉だが「根拠のない自信」である。

だがもしコントロールできないはずの「運」も自分が強運だと思うことで自信に繋がり「×自分」に作用すれば、気づいた時には将来の可能性が少し広がる。

自信は大事だと思う。
自分の中で揺るがない自信が持てること。
それは確実に自分自身の豊かさに繋がっていくと思う。

「自分は強運だ」
そう思うのはタダなのである。
逆にお金を払って時間をかけたからって身につくものでもないのである。

だけどそれが自信に繋がってしまう。
「×自分」に作用することがある。

思わにゃ損、なのである。

だから、根拠なんて無くても、あなたはツイている。
もしツイてないなぁって思う時も、運がなければさらに酷い結果になっていたかもしれない。
そう思うようにしてほしい。

運を味方につける、というのはそういうことじゃないだろうか。

<<<あと124日>>>
「運命とは、命を運ぶと書く。自分の命を自分で運んで、自分の道を切り開くしかない。」
by 坂井三郎

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