哲学カフェ参加記録「リーダーシップとは」@京都

こんにちは。

いきなり気温が高くなりウンザリしております。

今日は、京都のとあるカフェで行なった哲学カフェの模様を記録として簡単に残しておきたいと思います。

今日のテーマはリーダーシップとは何か。です。

はじめに

哲学カフェ自体は、何かテーマを設けた時にディスカッションはするけれど、最終的にテーマについて定義させるところまではしなくて、

このテーマについて、皆さん考えてみましょう。どう思いますか?各々の考えを話してください。という場ですので、今日も最終的にリーダーシップとはこうだ。というような断言はしておりませんので、予めご了承ください。

(今の私の個人的な考えは、最後に少し述べます。)

議論の模様

今回参加した哲学カフェの模様ですが

先に、今回話の中で浮かんできた疑問点や皆さんが考えていたことを簡単に並べます。

 ・人を動かす力とは何か?

 ・リーダーシップを発揮するということは良い行いなのか?

 ・リーダーシップの評価基準は何?

 ・リーダーシップを人を評価することに使っても良いのか?(評価する尺度として使えるか)

 ・リーダーシップの発揮を妨げる主な要因は何か?

 ・リーダーシップは生まれつき備わっているものなのか?それとも育っていくものか?

 ・リーダーシップのあるなしは誰が決めるのか?

 その他多数ご意見ありました。

皆さんはリーダーシップをどう捉えていますか?

リーダーシップとは何か?

ここで、キャリアポートレートコンサルティング代表の村山 昇さんが「働くこと原論」にて述べてらっしゃることを見てみます。

(以下、リンク先)

そもそも組織や集団を導くリーダーシップと自己を導くセルフリーダーシップがあるのではないかとここでは考えています。

もう少し詳しくすると、

一般的なリーダーシップとは他者をリードする(=導く)ということが前提となって使われていることが多いと思うのですが、

村山さんが引用している野田智義氏と金井壽宏氏による共著『リーダーシップの旅』から考えるに、「実はリーダーシップの起点は自己にあり、他者をリードする前に、まず自己をリードしなければならない。」

と記述されており、さらに

「セルフ・リーダーシップをとらえる上で重要となるのは、「何が」己を導くのかということだ。それはおおいなる目的(夢/志、使命、大義など)であり、抗し難く湧き起こってくる“内なる声・心の叫び”であり、それを覚知したもう一人の自分である。
したがって、セルフ・リーダーシップの発揮のために何が必要かと問われれば、それは仕事に大きな意味を見出すことであり、自分が向かいたい理想像を描くことであり、同じ価値を抱く人たちとの交流である。自己をたくましく導いていけるかどうかは、技術のあるなしや、分析や計画がうまくできるかどうかではない。想いを抱けるかどうかにかかっている。」

と記述されてあります。

村山さんの著書「働き方の哲学」では

「すなわち、最初にセルフ・リーダーシップがあって、次にインターパーソナル・リーダーシップがある。そして、自己を導くにも、他者を導くにも、基軸を定めていかないといけません。自分にも他者にも一貫して貫けるものがあるかどうかが、リーダーになる資質なのです。」

というお考えを示してあります。私もこの考えがベースにあります。

つまり、自己を導くのがセルフ・リーダーシップ。

他者を導くのがインターパーソナル・リーダーシップ(世間的に言われているリーダーシップ)。

ではないかということです。

リーダーシップの捉え方

今回の哲学カフェでは、導くというよりも人を動かすことにリーダーシップを感じる。という意見が多くありました。

僕はこの言葉に、違和感を覚え、あまり途中から議論に参加できませんでしたが、

「導く」と「動かす」は意味として似ているようで少し違うような気がしました。

動かすということは、そこに主体性が備わっていようがいまいが関係ないように思えるのです。

つまり、この違いから感じたことは、「どの立場からリーダーを見るか」によって各々が感じるリーダーシップに違いが生まれてくるのではないか?ということです。

会社で例えると

・会社の代表の立場から見る各事業部のリーダーが発揮してほしいリーダーシップ

・その事業部の一般社員から見るリーダーが発揮してほしいリーダーシップ

には少しズレがあるのかなと。

両者の共通点としては、それぞれのミッションをクリアするための軸(道筋)をハッキリさせ、クリアに向かってまとめていく(進めていく)。

と思うのですが

一般社員の目線としては、これに加え、ミッションクリアの過程で自己の成長を促してくれるモノを必要としているのではないかな=先ほどのセルフリーダーシップを備えるための要素を必要としているとも言いましょうか。

自律心を育ませるために、まずは自立させてほしい。とか

そこは代表から見る事業部リーダーに発揮してほしいリーダーシップとは少しズレてくるような気もするんですよね…。

個人に依存する(参加した感想)

まあ、ここまで話しておいて何ですが

結局はその人次第なような気がするんですよね。(これを言ってしまうとお終いなのですが)

セルフリーダーシップって個人の目標や目的が明確にある人にしてみれば

ある意味強固なものが存在するような気がしますし

目標があまり明確でない人は、セルフリーダーシップを育てるために自分のリーダーに対して、リーダーシップを発揮してほしいような気もするんですよね。

会社によっては、その代表も各事業部のリーダーに対して

従業員の主体性(自分ゴト化)させること=セルフリーダーシップを育ませることを望んでいるところもあると思うんですよね。

リーダーシップを定義するときは(参加を経て思う私見)

哲学カフェでは、リーダーシップを定義することはありませんでしたが

もし定義する際の注意点を今の僕の個人的な考えと絡めて述べさせていただくと、どこかコミュニティに属している人は、

リーダーシップを考えて、定義するとき、

個人の定義とコミュニティ内の定義を分けて考える。若しくは個人とコミュニティの考えを一致させる必要があるのかなと思います。

なぜか…?

割とシンプルな答えですが

リーダーシップを効果的に発揮させるためです。

哲学カフェで議論して思いましたが

皆さん捉え方が千差万別で

方向性の違いが団結の力にかなり影響を与えるな。。。と今回ヒシヒシと感じたからです。

発揮したつもりが、周りからすればそうではない。と言う状況が一番リーダーシップを発揮できていない。

と、これは断言しても良いと思います。

この相互ズレを解消することもまた同じくリーダーシップを発揮することかもしれませんが、それはここでは断定しません(笑)

今回の議論は自分の考えをまとめるというよりかは、皆の考えをまとめる必要性をすごく感じさせてくれました。

改めて、今回ご一緒させていただいた方にはお礼申し上げます。

ありがとうございました。有意義に時間を過ごせました。

ではまた。