見出し画像

休むことが苦手なので、休むことをあきらめた

昔から休むことが苦手だ。
最近は仕事が終われば副業、そうでなければnoteやブログを更新する。休職中もずっとブログを書いたり、プログラミングの勉強をしたりしていた。
副業をする前も資格試験にハマって勉強ばかりしていたし、そうでなくてもパソコンに向かっていた。私にとって息抜きに近いのは読書だが、決して頭を休められる趣味ではない。
長期間頭を休めない状態で、延々と動き続けられるはずもない。私は季節の変わり目や負荷が強くかかったとき、一気に体調を崩してしまうことが何度もあった。

それでも自分が休まず何かに打ち込むのは、休み方がわからないからだと自覚したのはここ数年だ。
定期的に疲れ切って寝込むより、息抜きを挟んで働く方が効率良く働けることは頭でわかっている。疲労でダウンすると、回復するまでに時間がかかるので結果的に遠回りだ。
それでも休もうと思えないのは、成果を残すことに対して強迫観念めいたものがあるからだろう。これは社会人になる以前からの悪癖で、大学時代も旅行と塾講師のコマを余暇に詰め込むことで正気を保っていた。
一度スイッチを入れるとオフにする方法がなく、電池が切れるまで動きつづける電化製品があったら使いにくいだろう。オフのスイッチを自分の中につくりたいが、どうにも方法がわからない。
休んでいるのだから何もしなくていいのだが、「何もしない」が私には難しい。手つかずの仕事や興味を持っていることが頭の中をちらつくので、落ち着かないのだ。端から見ると私は、生き急いでいるように見えるという。

そこで私は休むために、休もうとすることを止めた。
禅問答のようだが、そうではない。スイッチをオフにするのではなく、パソコンのスリープモードやアイロンの予熱のように、「オンに備える」という姿勢で仕事から離れる時間をとることにした。
その間はむしろ、頭を休めることが仕事だと思うようにした。時には気が済むまで寝て、体が動けば散歩へ出かけた。意外に休んでいる間の方がいい考えが浮かぶこともあり、かえって生産性が上がった。
次第に疲れていないときでも、意図的に机を離れる時間をつくるようになった。

電化製品と違って自分の脳は買い替えられない。自分の性能を嘆いたり人と比べて落ち込んだりするのではなく、困りごとに対して取扱説明書を自分で作っていくしかないのだろうと思う。
今でも気を抜くと、時間を忘れて働き続けてしまう日もある。私の取扱説明書は、生きていくうちに辞典くらいの厚さになるのかもしれない。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはZINEの制作費に使わせていただきます。