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モスクワ、色を読み人を想う(後編)
最後の晩に宿泊したホテルは、今までで一番豪華だった。聞いた話だと、ツアーではよくある話らしい。広い廊下にシャンデリアが輝いていた。
夕食はバイキングで、なんとサラダがあった。今までの食事では野菜がほとんどなかった。付け合わせやスープに浮いている玉ねぎ、パセリくらいしか見なかった。私達は、空腹と明日無事に帰れそうだという安堵感もあり、皿に並々と料理を盛った。
観光地の絵画や建築、料理と並んで心に残っていることがある。それは感動というには少し苦い感情だった。
夕食でも例の夫婦と一緒に食事をした。相変わらず男性の方はバイキングでも美味しいものを見つけるとすぐに教えてくれた。ツアーで初めて会ったのに、本当に親子になったような気がしてくすぐったいような心地がした。
前編でも話した通り、夫婦は旅行が好きで食事中にも旅先の話を聞かせてくれた。乗り換えで立ち寄った国の物価が高くて仰天した話、ヨーロッパでスリに遭った話…夫婦は知的好奇心も旺盛で、単純に見たものだけではなく、経済や文化にまで話が及んだ。
夫婦には娘が三人いるという。男性が写真を見せてくれた。着物姿の写真で、綺麗に並んだ白い歯を見せて笑っていた。大人になってからも、家族みんなで旅行に行った時は財布係をやらされた、と男性は苦笑いしていた。私は自分の家族で旅行に行くことを想像し、写真のような笑顔はどうやってもできないだろうな、と思った。
正直に告白すると、その時私は写真の娘達が妬ましかった。大人になり、一人暮らしをしてからも会いたいと思える親を持つことが。
私が親と旅行で思い浮かべるのは、幼少期小さな車に詰め込まれ、延々と続く夫婦喧嘩やどこまで行っても変わり映えのしない高速道路の景色をよそに弟としりとりやカードゲームをしていたことだ。父は守銭奴でお金がかかることを嫌った。よって海外は新婚旅行しか行ったことがないらしく、移動手段も車、食事もきまって高速道路にあるインターチェンジのカレーやラーメンだった(あれはあれで美味しいのだけど…)
大学生で不登校になるまで、旅行には全く興味がなかったのはそういう理由があったのかもしれない。家族との旅行も苦痛で友人グループもろくに持てなかった私には、旅行そのものに楽しいイメージがなかった。家にも学校にも居場所がなく、追い詰められて初めて、私は旅を欲した。
もしこの夫婦のもとに生まれてきていたら?私は家族での旅行を、かけがえのない思い出として心に残していたかもしれない。旅をもっとポジティブなものにしていたかもしれない。傍から見た印象で語るのは愚かしいことだと自覚しつつも、食事中に強めのウォッカを飲んだせいか私はずっとそんなことを考えていた。旅を終えて一年以上は経つが、あの夫婦の柔らかい笑顔を、私は未だに忘れることができないでいる。
帰国してから、成田空港で夫婦と別れた。これから新幹線で仙台に帰る、という。会う可能性が少ないことは百も承知の上で、どこかのツアーでまた会えるといいなと思う。
この旅行の翌月から、私は社会人になった。彼らの子供にはなれないが、私も歳をとったら彼らのようになりたい。途方もなく未来の話ではあるが、自分の子供が大人になったとき、一緒に旅に出られたらどれほど楽しいだろうと思った。そのために、家族であっても一人の人間として一緒に旅がしたいと思える自分をつくりたい。
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