見出し画像

建礼門院に学ぶ落ちぶれ方

思ひきや 深山の奥に 住まひして 雲井の月を よそに見んとは (建礼門院)

平清盛の娘、平徳子は、高倉天皇に入内し安徳天皇を産む。しかし、壇ノ浦の戦いで母、安徳天皇とともに入水、徳子だけが生き残る。徳子は京都の大原に送られて出家し、建礼門院の院号を受ける。

2022年6月25日のブラタモリでは、建礼門院が過ごした京都、大原の寂光院が紹介された。大原の地の中でも、山が迫った谷の奥の奥に、ひっそりと5畳半の部屋で暮らしたという。自然に囲まれたしみじみした場所だった。

焼けてしまったご本尊の中から、小さな仏様がたくさん出てきたというのも印象的だ。

ブラタモリ曰く、建礼門院は、里山に都のセンスを加え、柴漬けや大原女という文化を残したという。

そんな地で詠んだこの句は、かつて華々しい都で楽しく眺めた月を、こんな深山の奥に寂しく住んで、落ちぶれたものとして眺める身の上になるとは、まさか思わなかった、というもの。

建礼門院の悲劇と切なさが心に染みる。

誰しも40代、50代になると、先が見えてきて、徐々に落ちぶれた気持ちが出てくるものだ。

易経でも「亢竜悔いあり」として、盛りを極めると必ず衰える、と例えられている。もっとも勢いのある飛龍の時から、亢龍の準備をすることが必要だ。いきなり落ちぶれるとショックも大きい。落ちぶれ方というものが大切になってくるだろう。

2022年、6月としては最高気温らしい井の頭池

この記事が参加している募集

眠れない夜に

休日フォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?