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マッテオ・ピアノが石川祐希にインタビュー

元記事:https://dal15al25.gazzetta.it/2022/02/26/matteo-piano-intervista-yuki-ishikawa/

見出し写真:La Gazzeta Dello Sport

※翻訳はあくまで趣味の範囲であり、誤訳が含まれる可能性もあることを了承いただきお読みください。

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(ピアノ/以下略)ーYuki、(7シーズン目で)これだけイタリアにいると飽きてこないかい?それとももっとここでプレーしたいと思う?

石川「(笑)ぜんぜん飽きないよ。もっとここでプレーしたいって思うよ」

ーあとどのくらいか決めている?また、どんな目標を持っていますか?

石川「うーん、どうだろう。目標は少なくとも2つ(2年?)。より大きな目標に向かい、勝ち続けたいと思います。昨年はCEV Challenge Cup、今年はCoppa Italiaのベスト4と、この調子でトロフィーを獲得していきたい」

―イタリアで最も影響を受けたことは何だと思う?

石川「人として大きく成長できたことかな。日本ではすべての選手がプロとしてやっているわけではありませんが、ここイタリアではみんなプロです。その中で過ごしていくうちに『スポーツのプロフェッショナル』として大きく成長することができました。

また日本では、『みんなで』というチーム文化があるように感じます。イタリアでもそうなんですが、個人の個性が価値となり、他のチームメイトと一緒になってチームを形成していく、そういうところがとても好きです。ここでは、誰もが責任を持っています」

―Modena、Latina、Siena、Padova、そして現在Milanoに所属しているけど、Modenaで19歳だった頃から今に至るまで、Yukiの進化はどのようなものだったのかな?

石川「初めてイタリアに到着したとき、『海外』のバレーボールについて何もわからない状態でしたが、Modenaはバレーボールを知るために最適な場所でした。というのも、たくさんの強い選手と一緒にいることができ、とても刺激的だったからです。
その後、Latinaに行ってプレーするようになり、そこでプロとしての自覚を持ち始めました。Sienaでのシーズンは何度も負けました。しかし、リーグ全試合に出場したことで、選手として一歩前進することができました。
そしてPadvaでは、これまでの成果を発揮することができ、とても幸せでした。ここMilanoでは、それまで出場機会の少なかった重要な試合(プレーオフ、欧州カップ)に初めて出場することができました」

―Yukiが加入した年のModenaでは、葛飾北斎の「波」をモチーフにしたとても美しいユニフォームを着て、日本とイタリア2つの文化を融合させることができたね。イタリアでの経験は、日本ではどのように生かされていると思う?そしてご家族や友人、そしてあなたを温かく見守ってくれる日本の方々は、(イタリアでプレーし続けることを)どんなふうに思っているのかな?

石川「あのユニフォームは美しく、日本ではとても喜ばれたよ。イタリアは美しい国で、みんなイタリアに来たがっている。家族は自分のプレーを見に来たいと思っていて、この機会にイタリアを訪れたいと思っているみたいなんだけどまだ実現できていないんだ。

日本のファンもとても喜んでくれている。でも、もっと近くで見たいから、日本でプレーしてほしいとも言われています。
でも、何年か前にイタリアへ自分のプレーを見に来てくれたファンの方々は、ここでのアリーナの体験や、試合のレベルの高さ、見ごたえに驚き、喜んでくれました」

―自国でキャプテンとしてオリンピックに出場、これは夢が叶ったと言える?その他、実現したい願望はありますか?

石川「東京オリンピックではキャプテンを務めることができてとても嬉しかった。チームとしては24年ぶりにグループリーグを突破し、準々決勝に進出することができました。しかし、もっと勝ち上がりたかった。
次のオリンピックの出場権を獲得し、2024年のパリ大会では、東京大会以上の成績を目指すことができると信じられるよう、チームを支え、後押しできるキャプテンになりたいと考えています」

―バレーボールは何年前からやっているの?ご両親はスポーツ万能だった?

石川「10歳のころからずっと続けています。両親もスポーツをやっていて、母はバスケットボール、父は陸上。母はトップリーグで活躍し、父も競技者として活躍していました」

―お姉さんや妹さんは?

石川「姉は17歳までバレーボールをしていて、自分がバレーボールを始めたのも姉の影響。姉がバレーボールをしているのを見に行くのが好きでした。
妹は自分と同じ現役のバレーボール選手で、日本のトップリーグでプレーしています。東京オリンピックの日本代表選手としても出場しました」

―いいね、兄妹で一緒にオリンピックに出場したんだね。支え合ったり、話し合ったりしましたか?

石川「しなかった(笑)オリンピックの時はあまり話さなかったよ。お互いにフォローし合っていたけど、ほとんど会うことはなかった。でもオリンピックが終わった後にメッセージが届いて嬉しかったです」

―イタリアの家族ような「甘える」という感じではないんだね。

石川「(日本では)家族それぞれだと思う。うちはそうでないかも。普段から親と電話で話すことはあまりないかな」

―この数年間、バレーボールに明け暮れ、最も恋しかったものがあるとすれば、それは何?

石川「休み(笑)。あと旅行。バレーボール以外では一度も旅行したことがないし、友達と長い休暇で遊びに行ったことがない。
2週間続けて家族と一緒にいられたのは、前回のオリンピックの後、幸いにも日本にいたからできたよ。それ以外の10年間は、年に1週間以上家族と会うことはなかったんだ」

―Yuki、インタビューの最後に…ついに世間に公表するか…それとも秘密にしておく?

石川「よし、言おう。自分は法学部出身で、法学部で政治学を履修していました」

―ついに、誰も知らないスクープを教えてくれたね!

石川「(笑)」

―(笑)Yukiの笑顔はつられて笑ってしまうね。
私が出会った多くの日本人がそうであったように。とても礼儀正しくて自然な笑顔は、見ているこちらにも伝わってきます。(マッテオ・ピアノ)


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