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社会というトラウマの塊

ゼロベースで考えることの難しさ

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考えれば考えるほど行きつく先は、人間のエゴによる歪曲した教育の結果。不毛なカースト制度こそ、人間の不完全さを体現しているように思います。

人身売買をする村をとっても、この東京をとっても話は同じように思います。前回は土地の値段が格差の根源だと書きました

狩猟をやめたニンゲンが、その土地に定住するようになりました。「この地は神に授けられたもの」だというなら、そこに値段をつけた時点で自己矛盾が発生しています。それはいつも見えると都合の悪いこと、つまりエゴを隠すことに使われてはいないでしょうか。

長を据えたり独裁政治であること自体、問題ではありません。問題なのは、それを成り立たせている真価です。日本は三権分立という立派なシステムはありますが、真価は失われています。時の権力者によりエゴにまみれた秘密を互いに共有しあい、信頼でなく刃を向けあって関係を保っている。そして秘密は受け継がれ、絡み合った毛糸はもはや時系列も管轄範囲も飛び越え、一人の手や人生では追えないほど大きく果てしない。逆を言えば、優秀なトップの鶴の一声でどうにかなるとも言えますが、時の権力者集団は命まで狙ってくるので「いつ日本は良くなるのだ?」と期待しても、無駄なように思います。

グレートジャーニーからのトラウマ

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ニンゲンも争う生き物です。私たちホモ属サピエンスは、他のホモ属を滅ぼし唯一のホモ属=ニンゲンになりました同種で殺しあう生物はたくさんいますが、人と彼らの違いは「認知・感情・創造」の能力。だから殺して良い、傷付けて良い、エゴによって支配して良いというのは、ニンゲンという動物にとって根本的なルール、エコシステムには外れます。そして、憎しみから憎しみは生まれやすいのも事実。殴られたら、殴り返したくなるのは本能ですが、「殴り返さない心の道理」こそ人間らしさとも言えます。

しかし、南アフリカ共和国では、子どもを食べさせるために強盗に伴った殺人や恐喝、薬物を売る貧しい親が「今の政府にはなんの期待もしていないが、子どもには学校にいって、まともな職業について欲しい」と願うこともこの世界の現実。

さらに、人間の性格は以下のパーセンテージで決まるという研究があります。50%が遺伝子、50-40%が人間関係、親の行動は0-11%。(虐待など特別な場合はのぞく。)

これを資本主義ルールにのせて土地と教育に値段をつけることにより、ヒエラルキー間の壁はさらに強固となり、貧困と教育の格差が生まれます。トランプゲームの大富豪。一番であがった大富豪は、貧民から良いカードをもらい、不要なカードはわたすルールです。これこそ資本主義の縮図。683年からこの貨幣ルール上で生きてきた日本人の遺伝子はその無意識が骨身にしみわたり、気づかぬまま死んでいく。そして拭えないトラウマが連鎖していく。仏教でいうところの「業」はこれに近いものがあるような気がしています。

だからこそ人の教育のレベルも、貧乏であることも、まして裕福であることも人類全体のアップデートとエゴに起因しているように思えます。

金持ちも無知も、悪ではない

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ベーシックインカムの導入は、有識者のあいだでも前向きに話し合いがされています。(この研究についても、年内に書きます。)

資本主義を補填するアンサーとして、不動産の供給過多である日本ではとても現実的な解決作だと共感します。

そしてその超キソ的な余裕が生まれたなら、真っ先に考えるべきは「自分や親しい人にとっての幸せは何か?」ということだと断言したい。

社会はそれぞれの経験をしてきた層の集まりとも言えます。ゼロベースの子どもが親に教わる幸せと、バブルを経験し良くも悪くも情報が詰め込まれた上の世代では無意識の感覚や、発想が異なります。しかし、それらをもっとネットを通して格差なく共有することができるならば、国の幸福度が上がると楽観的に考えたりもします。

「金か、愛か」の愚問

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「パートナーにするなら、金持ちの方が良いだろう?」と女性はさまざまな場面で問われます。

現実的な回答は「お金も、愛もどちらも大事」だと個人的には思います。そもそも資本主義ルール上で生きているのですから、お金は多いに越したことはありません。それは性別や年齢関係なく当然のこと。しかし、1/3の離婚率の上位の理由に「価値観の不一致」があります。つまり愛という名の「受け入れる、許せる気持ちや考え方」も幸せで長期的なパートナー関係の継続には必須なはず。

考え方としては「資本主義ルールに立つ以上、稼ぐ必要性は高い」と互いに認識することで生活の課題をともに解決していけると思うのです。結婚をしたことがないのでキレイゴトかもしれませんが、そこをシビアに同じレベルで考えられない相手と一緒に過ごすことは想像に難い。「お金がなくても愛があれば」子どもに高い教育を受けさせることができるのだろうか?という問いへのアンサーともなる気がしています。

つまり互いに「お金を真っ当に稼ぐ能力や、それに変わる将来性や知性」も、パートナーを見極める一つの重要な要素かと思うのです。

「女は金で買える」は貧困で体を売ることを強要された、国の教育レベルのトラウマ。知らないことが悪なのではなく、わざと教えないことや本質を教えられないことが、悪なのです。

トラウマは認知し、忘れる

韓国大統領が日本を攻撃しつづけるのは、それで票を獲得できるからです。市民の怒りのトラウマを利用し、生産ではなく恐喝によってお金を稼ぐ。この不毛さに韓国も日本もアメリカも、世界も気づいています。しかし、感情的な国民を一気に動かす方法は未だ見つかっていない、またはやりたくないか、それが阻まれているかのどれかです。教育は投資資金がかかるうえに、リターンを得られるまでに時間も労力も要するので、よほどの信念が必要でしょう。

ところで自己肯定感の高め方や人間関係の問題解消ステップの一つに「トラウマとは幻想だと認識する」というものがあります。

国の精神レベルは、まさに心理学や脳科学そのもの。結果、外交とは人間関係の国際バージョンです。互いにトラウマはあって当然。だいじなのは「どんなトラウマがあるのか?」と本人が認識し、トラウマを利用しないこと。そしてそれを忘れ、本当の創造性がある国や民を作ることを目指すこと。

そんな明るい未来、生きたいと思いませんか?

次回はこの考えをベースに「ポスト資本主義」のルールアイディアを考察していきたいと思います。

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