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スペイン人旅行者が日本旅行で感じた、自己犠牲で成り立つ社会への憂い

こんにちは!

私は先月、京都に10日間の旅行に行ってきました。それは私にとって初めての一人旅でした。私は京都の歴史や文化や食べ物に興味があったし、友だちからも京都は素晴らしい街だと聞いていたので、とても楽しみにしていました。

旅行中は清水寺や金閣寺や嵐山などを訪れました。京都は想像以上に美しくて魅力的な街でした。私は京都旅行で楽しかったことや感動したことをたくさん話したいですが、今回は特に印象に残ったことをお伝えしたいと思います。

それは、私が旅行先で出会ったスペイン人旅行者の話です。彼は私と同じく初めて日本を訪れたそうです。彼は日本人の気配りやサービスに対して高く評価していましたが、同時に違和感や憂いも感じていました。

彼の話

私は彼と清水寺の境内で偶然出会いました。彼はカメラを持って観光客らしく写真を撮っていました。私もカメラ好きなので、彼に声をかけて話しかけました。彼はフレンドリーに応じてくれて、名前や出身地や旅行の目的などを教えてくれました。彼はアントニオという名前で、スペインのマドリードから来たそうです。彼は日本に10日間滞在する予定で、東京や京都や広島などを訪れるそうです。

私は彼に日本の印象を聞きました。彼は日本人の気配りやサービスに対して高く評価していました。例えば、

「電車が時間通りに来ることや、新幹線が全く遅れないことで旅行がスムーズなこと、食べ物が美味しくて安全で、接客が丁寧で、とにかく便利で物が安い。お釣りを両手で渡してくれるなんて、なんかこっちが申し訳なくなるよ。笑」

彼は日本の文化や人々に対して敬意や感謝の気持ちを持っていました。私も同じように感じました。スペインでは電車は遅れることが多く、食べ物は美味しいけれども高いし、接客は悪いこともあるし、便利さや安さは日本に比べて劣ります。日本ではそういった不満や不安を感じることがありませんでした。

しかし、彼は同時に、あまりにも便利すぎる日本の夜に違和感を感じたと言います。

「23時にレストランが開いていること、どんなレストランに入ってもほとんどハズレなく丁寧なこと、必要なものがいつでもどこでも手に入ること。それは素敵なことかもしれないけど、僕にとっては違和感だったよ」

「スペインではコンビニもなければ、自動販売機もほとんどない。お店は夕方を過ぎればだいたい閉まるし、レストランも真夜中まで営業しているところは少ない。これは、人々の生活を守るためだから。便利さよりも、皆が自分の人生を大切にしたいということなんだと思う」

「お店が開いていることはありがたいけれど、そこで働いている人がいるんだと思うと、辛い気持ちになったよ。夜遅くにスーツを着て、レストランでご飯を流し込むように食べている人や、その人たちに食事を提供しているたちがいる。便利であることが誰かの人生の犠牲の上に成り立っているとしたら、僕はそんな利便性は1番に手放したいと思う」

彼は便利さの代わりに犠牲にされているものにまで手を伸ばして、それが何なのか、何故そこにあるのかを問いかけているようでした。

「利便性を手放したい」「不便であることは問題ではない」

彼の言葉は簡単な質問のようで、とても哲学的だと思いました。誰かが辛い思いをしているサービスを受け取ることが辛い。消費者としてでなく、日頃から生産者としてのマインドを持って生きて生きているんだと感じました。

私は彼の話を聞いて、自分の生き方や考え方を見直すきっかけになりました。私は日本で暮らす日本人として、どういう価値観を持ちたいか、どういう生活を送りたいか、どういう人間関係を築きたいか、そういうことを考えてみたいと思います。

そして、私は読者の皆さんにも同じような問いを投げかけたいと思います。

「自分を大切にしてるかい?」
「そもそも、自分の大切にすることが何かわかっているかい?」
「それに照らし合わせて人生を生きてるかい?」

私はこれからも彼から学ぶことがたくさんあると思います。彼は私に日本とスペインの文化や価値観の違いについて考えさせてくれるだけでなく、自分自身について考えさせてくれる貴重な存在です。

彼は今日も旅行者でありながら、「自分」として生きる姿勢を忘れない素敵な人です。

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