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『メイド・イン・アビス』で知る「人間のなれの果て」

『メイド・イン・アビス』というアニメをご存知だろうか?

ある絶海の孤島、その孤島の中心にあいた大きな穴。
その大穴は「◉(●部分が穴、白い縁部分が人間の住むところ)」の形をしている。大穴は人間が住む区域よりも大きく、また、地下はどこまで続いているか検討もつかない。

その大穴には未知の生態系、環境、呪い(科学で説明できない人間を害する現象)がある一方、大穴から発掘される道具は人間の科学を超えていた。
危険で、未知の大穴は、冒険者の心をくすぐり、多くの冒険者が大穴の深部に挑む…。

ざっくり書くと、こんなあらすじだ。
最近、アマプラでこのアニメ、特に最新シーズン(?)、『メイド・イン・アビス 烈日の黄金郷』を観た。
そして、そのアニメが今の生活、これからする旅と重なっているように思えた。

※ここから『メイド・イン・アビス 烈日の黄金郷』のネタバレを含むので、これから観る方はご注意ください!
※ストーリーの解釈が誤っていたらぜひ教えてください!


『メイド・イン・アビス 烈日の黄金郷』では、主人公が生まれる、はるか昔の探検隊たちが、大穴の最深部にたどり着いた話から描かれる。
大穴は深くに行くほどに、環境がより厳しくなり、そこに住む生物は人間にとって危険なものとなる。

最深部にたどり着いた探検隊も例外ではなく、あまりに壮絶な環境に疲れ果てていた。
謎の病、食糧不足などでひとり、またひとりと命を落とす者もいる中、探検隊の隊長はある方法でそれらの問題を解決した。

しかし、その方法はあまりに惨いものだった。

〈冒険の果てにたどり着いたこと〉
〈果ての地が人間にはあまりに過酷だったこと〉
〈それでも生きながらえたこと〉

探検隊は人間の姿を捨て、なれ果ての存在となり、その最深部に住み着くようになった。
夢も冒険も、そして人間であることも捨てた彼らは最深部で生活を営みつつも、その営みはただ「価値」を求めるだけであった…。

時が経ち、主人公の一行が遂に最深部にたどり着く。
そして、なれ果ての存在となったある者が、主人公の一行にこう声をかけた。

「憧れも、穢れも、喜びも、痛みも私は捨ててしまった。君は拾い、宿していけ。拾うものすべてが君の価値だ」

『メイド・イン・アビス 烈日の黄金郷』

今の自分が「最深部に住まう人間のなれ果ての存在」のように思えてしまう。
たどり着いた場所でただ生きながらえつつ、「価値」だけを求め続ける、そのゾンビ的な姿が、自分のように思えてしまうのだ。

2点だけ断っておきたい。
1つ目。『メイド・イン・アビス』の登場人物たちは苦難の末、目的の場所にまでたどり着いた冒険者であるが、僕にはそんなカッコいい経歴はない。
2つ目。フリーランスとして仕事をしているため、何もせず、ただ毎日をボーと生きているというわけではない。

とはいえ、何かに熱中することもなく、何かに向けて一生懸命努力することもなく、ただ「より良さ(快適さ)」を求めている自分が…
「価値」を求めて、大穴の最深部で生きながらえる登場人物たちに思える。


「憧れも、穢れも、喜びも、痛みも私は捨ててしまった。君は拾い、宿していけ。拾うものすべてが君の価値だ」

『メイド・イン・アビス 烈日の黄金郷』

目的のない人間は、きっと上記のようなセリフを言葉にしたキャラクターのようになってしまうのだと思う。
憧れも、穢れも、喜びも、痛みも感じなくなってしまった、ただ生きている人間。

大穴の最深部、黄金郷にたどり着いたことで、彼らは目的を達成し、そして目的を失ってしまった(実際はもっと残酷な事情があるので、気になる方はアニメをぜひ)。
僕はただ目的を持っていないだけだが、「ない」という点で同じだ。

昨今、自己啓発本が本屋の棚のもっとも目立つところに並ぶ中、「目的を持て」という言葉をよく見かける。
目的をもって努力し、そして目的を遂げて幸せになろう、ということ。

こういった文言を見かけるたびに、僕は「みんながみんな自分を向上させたいこともないんちゃう?」と思っていた。

しかし、今は思う。
目的は、人に意欲や行動を与えてくれる。
目的が、「ただ日々をなるべく快適に」と生きながらえているゾンビ的存在から人に変えてくれる。

僕の世界一周は、ただ旅をする、極端にいえば移動することだけが目的だ。
しかし、「ただ移動をする」という目的が、僕に意欲や行動をくれた。

もし何も意欲が湧かない人、生活の単調さに何も感じなくなっている人は、手っ取り早く旅に出かけてみるといいと思う。

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