見出し画像

アートが社会(時代)に寄っているのではなく、社会(時代)がアートに寄ってきているという考え方 その1

現在では「アート」の領域が広がっており、文化芸術が社会に求められる役割が増えている。


これは、アートという言葉自体がもともとの美術だけではなく、音楽、ダンス、演劇など様々な分野で「エンターテイメントの反対側に位置するもの」という位置づけで多領域に使われる機会が増えていることも理由と考える。
(音楽でもJ-POPはエンタメで現代音楽はアートとか。ダンスでもコンテンポラリーダンスはアートだったり)


一方で、各地に広がった芸術祭などの影響もあると思うが、アートは町おこし、観光、地域の資源再評価などに繋がるとされているし、はたまた教育や医療、福祉などの現場でも取り入れられるケースがでてきている(事例はそれほど多くは無いけれども)


文化芸術の現場でも「他分野への進出」のようなことは盛んに言われるようになり、アーティスト自身も人によっては興味が強い人もいる。
これは

『文化芸術のみでは食べていけないから、他の分野に活路を求める』

というメッセージにも聞こえるし、

『文化芸術に投資するだけだと住民の(不特定多数の)合意が得られないから、文化芸術の公益性を違う分野と絡めて証明しよう』

という、苦肉の策のようにも聞こえる。
それくらい日本では文化芸術の公益性は、まだまだ多くの国民の理解が得られていないのではないだろうか。


なので、アートが社会に擦り寄っているようにも見えるのだけど、僕はこれは逆なんじゃないかと思っている。
アートが社会(時代)に寄っているのではなく、実は知らず知らず社会(時代)がアートに寄ってきているのでは?と。
現代社会は「正解がみえない社会」になりつつあり、アート的なものの見方が様々な現場でこれから求められてくるのではないかと考えている。

その理由は次回に。

photo: yixtape
飛生芸術祭2017より コールボイジャーズの皆さん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?