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ゆつくり鈍る/5分で読める現代短歌06

尖るとはやがてゆつくり鈍(なま)るものしんしんと人を憎しむときも
/岡井 隆

 たとえば、削りに削られた鉛筆の切先のような話です。

 初句〈尖る〉は、“尖るということは” 程度に補って読めるでしょう。
(こういった「xxというもの/こと」の省略は、詩歌の鑑賞でよく見られます。)

 いわゆる定義の歌で、二句以下で主体(主人公的な存在、短歌の〈私〉)の考える定義が為されることを読者は期待します。「尖るということは/尖ったものは、(何かしら)である」という宣言。価値観の提示。
 この時点では、まだ何も言われていません。(何かしら)の問いだけが提示されている。そうなると、歌の腕の見せ所は、いかにしてその定義に読者をノせるかということになるかと思います。反発でも共感でもよく、とかく無関心ではない反応を得ること。
 一首を読み終えたときに何かしらのことばの型を読者の心象に残すことが、二句以降で目指されます。

尖るとはやがてゆつくり鈍るもの

〈やがてゆつくり〉は、かなり冗長的です。三句〈鈍るもの〉まで、まさに〈やがてゆつくり〉と近づかせます。〈ゆつくり〉だけでもゆっくりなのに、〈やがて〉の遠さよ……。韻律的にはtogaruのなかで目立つgaを早々に回収しているyagateとも言える、かもしれません。

 ここで、主体の考える定義があらわされました。「尖るということは/尖ったものは、やがてゆっくり鈍るものである」という定義です。

 なんて当たり前なのか……。

 と、感じるのも自然なことかとは思います。でも、この歌ではそれでいいのです。
 普遍的であることに、この歌の良さがあるからです。
 だいじなのは、いかにしてその普遍的な定義を拡張するか。あるいは、深く捉えなおす契機としてもらえるか。共感にしろ、反感にしろ。
 三句までに提示は終わり、四, 五の下句はその補強になります。

尖るとはやがてゆつくり鈍るものしんしんと人を憎しむときも

ひとを憎む感情でさえ、ゆっくりと鈍るものである
という拡張ですね。正確には逆転していて、ひとを憎む感情でさえもそうなのだから……という補強です。結句〈も〉です。

 止まない雨はないとか、この怒りがやがて風化してしまわないかとか、類似する箴言は数多あります。この歌の主張は何ら真新しくありません。別にそれでいいのです。主張が普遍的であることで、この歌はひかると思います。

 三句〈しんしんと〉で、わたしは降る雪を思い浮かべます。
 どこにも書かれていませんが、そういった、白く、ゆっくりとした空間です。〈しんしんと人を〉の字余りも、ゆっくりとした時間の感覚を連れてきます。
 雪は降るばかりで、他にはなにもありません。

 そのなかで主体〈私〉だけが、尖っている。ひとを憎んでいる。
 それも、静かに、おそらくは極めて鋭利に。Siのひびきが効いています。

 黒鉛のように硬く、艶があり、しかし脆い、何かを存分に傷つけようとすれば自身も削れていくような感情です。〈しんしんと〉から“芯”までを導くのはさすがに無茶かもしれませんが、そのように一本の芯としての憎しみが貫いていることは読めると思います。
 おおくのひとに、すくなからぬ経験のある感情かと思います。

 ただ憎む一心となった主体の感情そのものが、雪のなかに屹立している。

尖るとはやがてゆつくり鈍るものしんしんと人を憎しむときも
/岡井 隆

 しずかに降る雪のなか、尖った主体の憎しみが、ゆっくりと鈍っていく。
 雪の結晶にも似た、黒い粉を散らしながら鈍っていくでしょうか。言い過ぎかな。

 ここまで、この歌の普遍性と補強としてのイメージの話をしました。

 しかし、この歌でぼくがもっともよいとおもうところは、前述のような憎しみやその鈍化について、冷静で距離を取っているところです。憎しみに囚われている自身を、客観視している。いや、むしろ、落ち着いた文体からは、客観視せざるを得なくなっているのかと感じます。

 経験のちからか、主体はもう、この憎しみも風化すると知っている。
 あの憎しみと同じように、すぐには無理でも、おとなしくなる。
 いつまでも憎み続けることは、良くも悪くも難しいのです。

 イメージとしての黒い主体の感情は、しかしこの歌ではあくまでイメージであり、主体の感情そのものとして読者に開け放たれてはいません。ここで読者が受け取ることのできる感慨は、”そのようなイメージを想起する”主体のものでしかありません。

 〈しんしんと人を憎し〉んでいるこの感情さえいずれはなくなるのだと、知っている。客観的に、一歩引いて見ている。見ざるを得ない。そのとおさに、わたしは哀切を覚えます。言いようのない寂しさを感じます。
 この“言いようのなさ”が詩情であり、この歌から雪のようにわたしにもたらされます。

尖るとはやがてゆつくり鈍るものしんしんと人を憎しむときも
/岡井 隆『銀色の馬の鬣』



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