とら~ぬと剣道Ⅲ~成長と挫折~

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ちょっとわかりにくい写真で恐縮だが、これはとら~ぬの左腕を撮影したものである。手首の辺りに傷跡があるのがわかるだろうか。

これは私が高校時代に顧問と稽古して鍔が刺さった結果できた傷跡である。

鍔が「左」手首に刺さる、と書いても意味が伝わらないと思うが、実際そうなったのだから仕方ない。

今回の記事は私の剣道が一番進化した時代、そしてある意味で私が剣道に生きるのを諦めた高校時代の話をまとめておきたいと思う。

1.スクランブル登板のとら~ぬ

静岡県入試は当時公立でも2回試験日があった(今は1回)。当時は前後期試験と言う扱いになっており、前期は各校で問題のレベルを自由に設定することが出来ていた。

3月に開催される大会に県大会優勝メンバーを揃えることを至上命題とされた私は2月中旬で終わる前期試験(合格率3割くらい)で合格するよう通達を出されていた。

当然今の母校に受かれるよう必死で勉強し(この時に伝説の名言「とら~ぬには他人を惹き付ける『魔力』がある」が生まれた。詳細は別記事に)、無事前期で合格。裏スカウトもあり剣道部に入部。ここから修行の日々が始まる。

当時の顧問は道場の先輩が所属していたこともあり、私が小学生の頃からよーく知っていた方だった。当時からしこたま稽古を付けてもらっていて、良くボコボコにされていたのを思い出す。

入部してすぐ、インターハイ予選のメンバー決めがあった。当時主力はある程度メンバーが決まっていたが、補欠含めて後2枠くらい道が残されていた。部員総当たり戦をあの手この手でギリギリ(返し胴を腹をへこませて透かして面を決める等)凌いだ私は一応地方予選の補欠としてエントリーされる。

静岡東部のインターハイ予選はベスト16に入れば県大会に進めるので、団体戦は1つ勝てば問題ない。しかしそこから上位に残ろうとなると強豪校に最低1つは勝たないとならない。

ひとまず1つ勝って強豪校に蹴散らされた我が校は順位決定戦へ。ここも当然勝った方が県大会でのブロック分けが楽になるので勝っておきたい。

試合前に呼び出される。

「とら、お前先鋒な。」

…何を言い出すのだろうか。確かに相手は普通にやれば問題なく勝負になる相手とはいえ、同じくらいの実力の3年生を払い除けて私を出すと言うのはとは思った。しかしここで退くのはいかんせん勿体ない。長々と試合に出して貰えない雌伏の時を味わってきた身としては、これを逃したらまたしばらく出られないとどこかで理解していたのかもしれない。

そして試合に出場。時間間際まで粘って1本を取りきり、どうにか勝利。


しかしここから私の苦難の日々が始まるのである。

2.長い別メニューと技作り

高校の剣道は基本的に体格と運動神経が無いと勝負にならないところがあり、まず筋力を付けることから始まった。

三年生が引退した後は先鋒として出場を続けながら、とにかく38の竹刀を確実に使いこなせるようにすること、それから体重を増やして当たり負けしないようにすることから始まった。そのためもあり私は毎日ご飯用とおかず用の弁当箱をそれぞれ持っていき食べることで体重を増やしていた。

高校時代がとにかく一番身体を動かしていた。元々身体が強くないことは理解していたが、それでもチームの主力として戦うために、自分の技にこだわるために、時には別メニュー(皆と同じ素振りのメニューを全て片手でこなしていた)もこだわり抜いて続けていた。

そこで事件は起きた。

忘れもしない高校一年の秋だった。部活も終わり布団で寝ていた時、今まで経験したことの無いような胸の痛みが私を襲った。何かに締め付けられると言うか、危うく意識を持っていかれるレベルの痛みだった。

数分して痛みは収まった。この時は大して気に留めていなかったが、後にとある事態を引き起こす。



高校時代はとにかく面打ちにこだわった。基本的にさばき手というか、相手と距離を取って小技で凌ぎ続ける剣道スタイルであり、強豪校の主力たちと戦うには些か決め技を欠いていた。そこで身体作りと徹底した素振りで真っ向からも戦えるように作り込んでいった。その副産物が冒頭の傷である。師範と稽古すると15分の地稽古(もうここで頭おかしいんだけど)のうち10分くらいはひたすら面打ちをする。打ち方が悪いのもあって師範の鍔が刺さる。そうして出来上がった傷なのだ。10年経っても消えていないが、今でも勲章として少し誇りに思っている。

合宿中の練習試合でも基本的に面以外禁止と言われたこともあった(流石に相手のレベルにもよったが)。

剣道をしている人なら分かるだろうが、基本的に剣道の技は左手が決まっていないとキレのある技が出ない。ブレてしまうと軌道がずれたり、当たりが弱いものになってしまうからだ。

高校時代の試合を振り返ると、中学時代ほど負けることは少なくなったが、成績は正直それほどでもなかった。団体では県大会に行けても個人ではなかなか行けなかった。あと1つ勝てばというところで強豪校の主力を一人倒さないと通過できない、ということもあり、その壁がなかなか突き破れなかったのである。

結論から言うと最後の大会で運よく出場できたのだが、それは次の記事にしたいと思う。

とら~ぬと剣道Ⅳ~挫折と結果~に続く

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