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ポストコロナ社会と人と空間の関係性

ポストコロナ社会で確実に変わるのは人と空間の関係性だろう。このnoteを書いている私が思いつく範囲の場所しかリストアップしていないのでまったくの未完成だけれど、新型コロナウイルス感染症が広まっている社会で異なる場所に対して感じる心配と安心を簡単な図にしてみた。


ポストコロナの人と空間


この図での分類は私がニュースなどで見聞きしたことと主観的な判断を合わせて作ったもので、医学的な根拠はない。ただ、そこに意味があると思っている。新型コロナに感染した場合にも軽症であったり症状がなかったりすることを考えると、検査結果で人々の行動範囲に規制をかけるということが機能しにくい。代わりに、人々が主観的に危険・心配と感じる場所が予防的に回避されるようになり、安心・リスクゼロと感じる空間での機能拡張が求められるようになるのではと思う。

この図で私が最も大事だと思うのは、リスクゼロの空間ではなく、安心・割と安心と感じる空間だ。今、コロナ対策として様々なものが急ピッチでオンライン化されている。仕事も学校も飲み会もオフラインをそのままオンライン上で代替するかのような流れが起きている。けれど、このプロセスには決定的な欠落がある。それは、私たちの五感がすべてオンラインに置き換えられないということだ。パソコンの画面を通じて乾杯しても、グラスのぶつかる感覚や最初の一口をプハーッとしたときの爽快感はやっぱり伝わりきらないのだ。

ならば、私たちの五感、特に非言語・空気感の部分を安心できる距離感で共有できる空間が大事になってくるだろう。つまり、オンライン化できない五感をどう扱うのかが、とても大事なテーマになってくるように思うのだ。そんな「適当な過疎感」のある空間を提供できる場所の役割は大きそうだ。

これに該当する場所として、個人的には「お寺」にとても大きな可能性を感じている。もともと地方を中心に人口減少社会でお寺は従来の檀家制度を基盤に経営することが困難になってきている。そんななかで、飛沫・接触感染を工夫次第で比較的容易に回避できるような空間的広さを持っているお寺は、ポテンシャルのかたまりではないだろうか。リスクゼロ空間のオンラインも上手く使いながら、お寺がこのPrecarious Soceity の時代になりそうなポストコロナ社会において、人々の漠然とした不安感にはたらきかける社会的装置になれるような気がしている。

特効薬やワクチンが開発されてこの新型ウイルスの猛威が収まり、人々がまた安心して様々な空間と従来どおりのつながりを持てるようになることがもちろん望ましい。けれど、今おかれている状況で、とにかくすべてをリスクゼロにシフトしていこうとすると、私たちの身体性である五感の多くが抜け落ちた社会に変化してしまうように思う。適当な過疎感のある空間が社会のなかで大事にされていくことで、この新しい社会フェーズを手触り感を持って過ごしていきたい。




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