見出し画像

安定政権という「夢」

政権が短い期間でくるくる変われば、不安定な政治、という。政権が長く続けば、長期政権のおごり、といい、あるいは権力は腐敗する、という。まことに世間は口さがない。

1年ぶりに、日本では政権が変わったらしい。
「変わったらしい」と、日本に住んでいるくせに、他人事のように言いたくなる。目が日本にあまり向いていないのもあるのだが、日々のニュースについて見る気がしなくなって、ずいぶん経つからでもある。

「新政権が成立しました」。
そうか、新政権ができたんだな。

「安定」が足を掬う

一般的に言って、政治は安定したほうが良い。制度や政策方針が頻繁に変更されるよりも、将来についてある程度見通せるほうが、経営にしても生活にしても容易である。

ところが、新型コロナウイルスに関する政策では、誰だって「見通し」などつきやしない。ウイルスの性質が少しわかったと思ったら、次の変異種が現れ、感染力や毒性が変わってしまう。そのなかで安定軌道を描くなど、どだい無理な話である。

あとから振り返れば、しかし、前首相はなんとか「安定軌道」を作りたかったのではないか。2020年のうちに「Go To」プロジェクトを打ち上げた。どれだけ懸念が示されても、東京オリンピックは実施された。ワクチンを安定供給し、日当たりの接種数も安定させたい。その意味では、前首相は最初から最後まで、火中の栗を拾おうとしっぱなしだった。

「政治は安定したほうが良い」というこの一点が、逆説的に政権の足を掬ったように、私には見える。日々感染者数が増え、専門家が警鐘を鳴らすなかで、「想定した軌道」から動こうとしない姿は、どこか頑固な、意固地になっているような印象を与えた。

機動的に支援を出せるのではないか?
「Go To」はいまじゃなくてよいのではないか?
オリンピックなど時宜を得て行えばよいのではないか?

描いた軌道から外れようとせず、唯一「柔軟に」対応したのが緊急事態宣言の発出だけのように、人々は見た。そしてそれは、外出自粛と飲食店いじめだけの、無責任な施策のようにとらえられた。

「決め込んだ政治」と「決められない政治」

なぜ、安定軌道にこだわったのだろう。

時計の針を、10年ほど巻き戻してみよう。
2000年代の終わりから、日本では「決められない政治」という言葉が流通し始めた。いわゆる「ねじれ国会」のもとで、人事案や法案が与野党の対立材料にされたため、なかなか進まなかった時期のことだ。日経新聞によると2008年から使われ始めたらしい。

人事案や法案の審議はしばしばストップし、首相は1年ごとに交代した。
日銀総裁の人事がそれほど紛糾に値することだったのか、今となっては疑問ばかりが浮かぶ。「ねじれ国会」において、「決められない」ではなく、与野党対立のもと「決めさせない政治」だったのではないか、とも思う。
しかし、「決められない政治」という言葉が流通していた。そのなかで、党の中枢に分け入ったのが、前首相だった。10年も前の話である。

「決められる政治」、そして「安定政権」。
政権交代を経て、自民党政権はこのふたつに縛られてきたように、見える。

「いま決めなくてもよい」をできなくなった。
「決められない政治」と言われてしまうから。
「安定より臨機応変に」ができなくなった。
短期間に政権が変わる可能性につねに脅かされているから。

だけれど、新型コロナウイルスによって、超流動的な状況が現出した。
刻々と変わる状況のなかで、前首相はひとたび決めた方針をなかなか変えようとしなかった。「決め込んだ政治」であるがゆえに、「決めるべきときに決められない」とかえってみなされる逆説が生じた。これが、政権にとって致命的だったような気がする。

次がどうなるのか、まだ輪郭も見えない。総選挙はこれから来るのだから、当然だ。だが、政権を担う以上は、「安定政権」という夢は追いかけるだろう。「安定していればいい」という呪縛に陥らないと良いのだが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?