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少しの贅沢 / メルシン(2)

2003/07/06

昨夜二十三時半、ようやくたどり着いたメルシンの街はすでに深い眠りの中にあった。弱々しい街灯に浮かぶ海辺の路地を心細い気持ちのまま歩いた。静まり返る夜の底で、サンダルの擦れる音が少し遅れて背後から響いた。夏夜の帰り道みたいに甘く切なかった。

大通りに面したイーストコーストホテルという宿にチェックインできたのはすっかり日付が変わった頃だった。一ベッド10リンギット(約320円)、そんな破格のドミトリーに決めた。この状況にあって他に選択肢などなかった。

宿の主人は陽気で親切な人物だった。宿帳にサインをしていると彼は脈絡もなくこんなことを言った。「こんばんは。私の名前アジノモトね」と。

本当はアンワルという名前だったが、日本人にはいつもそう教えていると言った。たいして面白くもない冗談だったしリアクションにも困ったが、もちろんそれは彼なりの気遣いだった。安心してもらいたいんだよとアンワルは続けてマレー語で言った。

メルシンという小さな海辺の街は沖合に浮かぶリゾートアイランドの中継基地だった。この街を訪れる観光客の多くがトランジットで、誰もが長居もせずに離れていく。

そんな場所だったからこそ、まるでコーヒーに砂糖とミルクが添えられるようにぼくもまたティオマン島へのツアーアレンジを持ちかけられた。

アンワルの口ぶりにはそれほど熱心なものを感じなかった。それより何より案内されたパッケージツアーの代金が予想以上に高額だったことで、その島への興味がすっと薄れてしまった。サーフィンもダイビングもやらない人間にとっては魅力のある島とは思えなかった。

黙り込むぼくにアンワルはゲストブックを見せてくれた。日本人の書き込みもあるはずだよ、と。言われるままページを繰って目を通すと、案の定と言うべきなのか、ティオマン島についての意見は賛否両論さまざまだった。

曰く、たいして美しい島ではない。曰く、物価がメルシンの倍以上。曰く、深夜までバーの音楽が響いて眠れない。

これらの言葉はみな彼らの感じた印象でしかなかった。ぼくではない誰かが個人的な観点から下した評価であって、そこに賛同や批判を差し挟む余地などなかった。

ひとつ分かったのは、結局、彼らの満足度が支払った金額に比例しているというあっけらかんとした事実だった。たかだか数十円程度の金額にさえ敏感になっている人間にはお呼びのない島なのだ。

夕暮れ時、とりたてて特徴のないメルシンの街をもう一度歩き、大通りの突き当りで見つけた中華食堂に入った。少しばかり贅沢に食事をしてみようかと思った。看板には肉骨茶という漢字が大きく書かれていた。

イスラム国家にあって豚肉を食すのは中華圏をルーツとする人たちだけなのだろう。壁に貼られたポスターもラミネート加工が施されたペラペラのメニューの文字もすべてが繁体字だった。

注文した肉骨茶は素焼きの鍋に入った熱々のスープだった。ぶつ切りにされた内臓や骨付リブがわんさと入り、中華湯葉に浅葱やクコの実まで散らしてあった。茶色く澄んだスープはあっさりとしたものだったが、複雑な風味の中で八角の香りが一本の線のように際立っていた。

食堂の主人に食べ方を訊ねた。小皿に醤油を取り、刻んだ青唐辛子を投げ込み、スープから肉をつまんでつけて食べるのだという。マレーシアの醤油は塩気ばかりが強くて風味や香りはなかったが、かえってそれが肉の味を引き立てているのだと思った。ライスが付き、中国茶がついて6リンギット(約192円)だった。

漢方スープの効能なのか、食べ進めるにつれ、身体の奥で何かが力強く湧き上がるのが分かった。これが沁み渡るということなのかと思った。レバーや骨付リブもよかったが、太いマカロニのような白い腸が特に美味しいと感じた。熱々のスープをすすり、山盛りのライスを頬張り、また肉をつまんで口に運んだ。

がらんとしたメルシンの通りを眺めながら、なぜか気持ちが和らいでいる自分に気付いた。もしかしたらぼくは少しだけ笑顔になっていたのかもしれない。

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