優しさに埋もれて / ウブド(7)
2003/09/28
時折、ふらりと足を伸ばしてプリ・ルキサン美術館へ出掛けた。誰かに呼び止められることも、大声ではしゃぐこともない時間。それは、肌に触れる温もりと同じぐらい大切にしたいものだった。
もちろん訪れるたびに入館料が必要だった。最安値の食堂であれば料理が五皿ぐらい並ぶ程度の。
絵画や彫刻に触れることが食事と比べて高いか安いかなんて、本当のところはよく分からなかった。でも、この静謐な時間は、他の何物にも換えられないものだと思っていた。
広々とした展示室を何度も立ち止まりながら歩いた。自分の足音が少し遅れて天井から響いた。そんなタイムラグさえ心地よかった。
たっぷりと時間をかけ、キャンバスに伸びる線をなぞるように見つめた。作家たちはどんな思いでこの線を引いたのだろうか。百年も二百年も前に描かれた線の一本一本から、かつてのバリ島の風が吹いてくるようだった。
冷やりとした壁に指先を伸ばし、絵画から聴こえる音に耳を澄ませた。絵の中の森はきっと今も同じ場所にあるのだろう。さまざまな神の姿が描かれた巨大なガジュマルの木は、この村が生まれるずっと前からそこに立っていたのかもしれない。
この美術館で観ることができるのは、絵画という形を借りたこの島の記憶だった。そして、記憶として閉じ込められた風景は、そのまま現在のバリ島に繋がるものだった。
東西の展示棟をすっかり観てまわると、いつも決まって中庭の木陰に腰を下ろした。目の前に広がる深い緑の風景は、そのまま切り取って一枚の絵画にできそうなほどだった。
睡蓮の浮かぶ噴水を囲むようにして、熱帯の樹木がうねるように絡み合っていた。複雑な木漏れ日の中で、深紅に咲きこぼれるブーゲンビリアや裸子植物の鋭利な葉がゆったりと風に揺れた。
上空から小鳥たちの啼き声が聴こえ、遠くから竹ガムランの軽やかなリズムが響いた。手のひらの箱庭のように四角く切り取られた中庭で、ぼくは大切な何かを胸にしまうように呼吸を繰り返した。
去来するのは出会いと別れの場面ばかりだった。こうしてひとりぼっちに戻るたびに、ここにいない誰かの仕草がぼくの内側を蹴り続けた。
ぎゅっと抱きしめてくれた人がいた。ぼくの旅立ちを泣きながら見送ってくれた人がいた。上手にさよならを言えなかった相手。あえてさよならを選んでしまった人。そして、もうひとつの旅立ち。
旅が終わろうとしていた。砂時計の砂が音もなくさらさらと落ち切ってしまうように。
上空を旋回する風に煽られて椰子の梢が鳴った。すすり泣きのような葉擦れの音にさまざまな思いを重ねた。
祈るように両目を閉じると、舞い散る木の葉の映像がまぶたの裏に浮かんだ。必死に掴み続けていた枝を手放し、木の葉は次から次へと大地を目指して身を投げていった。
気がつくと両目に涙が滲んでいた。何もかも手放してしまえばいいのだと思った。木の葉はまるで、ぼくが囚われていた記憶の鎖そのものだった。手放してしまえ。絡まった鎖を解こうと苦しむのではなく、何もかも絡まったままで。
空で生まれたひとひらの葉が、今日もまた新しい命のために身を投げていく。はらりはらりと軽やかに両手を離す光景は、もはや悲しみではなかった。新しい始まりを願う深い優しさに他ならなかった。
旅が終わろうとしていた。その事実を、まるで自然の摂理のように胸に描いた。やがて、ぼくを取り囲む世界のすべてが、舞い降りる木の葉で埋めつくされていった。
あと一回、この太陽が西の空へ帰る頃、ぼくはこの島を離れる。
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