遥かなる河 / ウブド(8)
2003/09/29
あの日、バンコクの安宿で出会った日本人の青年は、大袈裟な手振りを交えながら陶酔した眼差しでこんなことを言った。
「ずっと旅の中にいたいんだ。旅なんだよ、旅」
正直なところぼくに言えるのは「旅なんていつか終わる」という冷めた思いだけだった。旅はどこかで必ず終わりが来なければいけないのだ。
期待通りの反応を示さないぼくに向かって青年は乱暴にこんな言葉を繋いだ。お前はいったい何を見てきたんだよ。いったい何を知ってんだよ。
今はもうそんな青年の態度や言葉さえ懐かしい出来事だった。日本を離れて今日で九十三日目だった。
慌ただしく荷物を詰め込むと部屋の片隅にリュックサックを残して宿を飛び出した。貸本屋のクトゥに感謝と別れを告げ、馴染みになった食堂のスタッフや裏道の小さな商店の老婦人、道端にたむろするバイタクの青年たちにまで声をかけた。今まで本当にありがとう、と。
一緒になって歌った旅行者たちの何人かとも道すがら運良く言葉を交わすことができた。帰国を告げるぼくに、彼らはみな握手やハグで応えてくれた。不意に滲む涙を指先で拭ってくれた女性もいた。
チェックアウトを済ませるために宿へ戻り、リュックサックを背負ってギターを担いだ。ジーンズのポケットを上から触り、財布やパスポートの存在を確かめた。もう大丈夫だと扉に手を掛けたところで不意に何かが胸をかすめた。
荷物を再び床に下ろして部屋を振り返った。そしてすぐに忘れていたものが何であったかを理解した。ぼくはまだこの部屋にさよならを告げていなかった。宿のお母さんの手でいつも清潔に保たれていたこの小さな部屋に。
ベッドを包む色鮮やかなバティックのシーツ。バスルームの白いタイル。竹で格子に編まれた壁や使われることのなかったシーリングファン。そういったひとつひとつをしっかりと目に焼きつけ、順番にさよならを告げた。そして、洗面台の鏡に映った自分自身にも別れを告げた時、これで本当におしまいなのだと思った。
大通りに停められた四駆に乗り込み、傾きかけた陽射しの中を空港へ向かった。運転してくれたのはこの土地で知り合ったバリ人の青年だった。「無駄なお金は使わない方がいいから」と彼は言った。ぼくが運転していけば済む話だから、と。
シートに身を沈め、車窓を流れる風景ばかりを眺めた。青年は何度かぼくを元気づけようと話しかけてくれた。けれどその言葉が意味するものがぼくにはもう分からなかった。
いったいこの車はどこへ向かっているのだろう。国際線の飛行機に乗り込んで、いったいぼくは誰の国へ向かうというのか。
車がハイウェイの直線を疾走しはじめた頃、カーラジオから聴き覚えのあるメロディが流れた。ゴスペル風にアレンジされたジミー・クリフの『遥かなる河』だった。
クワイアマスターの女性がうねるような歌声でメロディを高く天へひっぱり上げていった。
Many rivers to cross
But I can't seem to find my way over
Wandering I've been lost
As I travel along the white cliffs of Dover
© 1969 Jimmy Cliff
小さな声で一緒に歌った。越えなければならない川がいくつもある。けれど、いったいどこから渡り始めればいいのだろう。
両目を閉じて深く息を吐いた。そして、ぼくはこれからの人生をいったいどこから始めればいいのだろうと思った。
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