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永遠みたいに / コタバル(1)

2003/07/15

正午過ぎの長距離バスでコタバルへ向かった。窓枠に頬杖をつき、次々にめくれていく風景をぼんやり眺めて過ごした。いつか未来に、白く輝くこの陽射しを思い出す時が来るのだろうか。その時ぼくはどんな思いでこの記憶の底を泳ぐのだろう。

宿探しも兼ね、重い荷物を背負ったままあてもなく街を歩いた。道端で客を待つタクシーの運転手に次々と声を掛けられたが、そのたびに「Baru datang, ya(着いたばかりだよ)」と叫び返した。親指を上げて笑顔を返す運転手たちにぼくも片手を上げて応えた。

宿の情報を得ようとツーリスト・インフォメーションへ向かうと日本人の旅行者が二人いた。どちらも一人旅の男女だった。声を掛けられて久しぶりに日本語を使って話をしたが、自分でも驚くほど言葉が出てこなかった。自分の口から出たはずの日本語がどれもこれも嘘っぽく聴こえた。こんな戸惑いは初めてだった。

窓口で受け取った地図を手に、彼らに別れを告げてツーリスト・インフォメーションを後にした。ジリジリと焦げつく陽射しが容赦なく肌に突き刺さり、せっかく治まりつつあった日灼けの痛みがぶり返した。

途中、日陰を見つけては何度も休憩を入れ、地図に描かれた線と実際の街の姿を頭の中で重ねた。当たり前の話だったが、向かうべき場所はどこにも書かれていなかった。

二時間以上歩いただろうか、見て回った幾つかの宿はどこもパッとせず、入手できたものは遣り場のない疲労感だけだった。汗ですっかり萎れた地図を道端のゴミ箱に投げ入れ、この先にある川べりの道でも歩いてみようかと思った。せめて水の気配があればと、そんな気分になっていた。

ひっそりと息を潜めた薄暗い通りに小さなゲストハウスの看板を見つけた。どこかで今日の宿を取らなければならないことに変わりはなかった。看板に気付けたことだけでもよしとしようと、そう思った。

埃っぽい空気の充満した階段を昇り、呼び鈴代わりに置かれた自転車のホーンを鳴らした。パーンと間の抜けた音が響いたが、その音が誰かに届いた気配はなかった。

もう一度ホーンを鳴らし、これで誰も出てこなければ立ち去ろうと思った時、ひとりの女性がひょいと顔を覗かせた。驚いたことに、彼女は数時間前にツーリスト・インフォメーションで言葉を交わした日本人だった。

外出中のオーナーに代わって彼女から宿代などを教わった。ドミトリーが6リンギット(約192円)だということ。気持ちのいい屋上があること。そして「いま私ひとりだけだから、よかったら一緒に」というにこやかな笑顔に強く背中を押された。

部屋は特に綺麗というわけではなかったが、今夜の寝床を確保できたことと、その値段とに安堵のため息をこぼした。時計を見ると既に午後六時を回っていた。コタバルのバスターミナルに降り立って実に四時間以上も後のことだった。

夕食は同宿の彼女と、昼間ツーリスト・インフォメーションに居合わせた日本人の青年の三人で中華食堂へ出かけた。旅に出て久しぶりにビールを飲んだ。宗教上アルコールの摂取が禁じられているイスラム国家にあって、食事をしながら飲めるのは中華食堂だけだった。

肉骨茶の鍋を三人で囲み、ハイネケンの小瓶を二本ずつ飲んだ。それで一人あたり15リンギット(約480円)だった。今夜の夕食が宿代の2.5倍だということに気付いてなぜか痛快な気持ちになった。

柔らかく喉を落ちていくビールの余韻に浸りながら、彼ら二人の話にじっと耳を傾けた。それぞれに何かを抱え、何かを捨て、何かを見つける旅だった。彼らの過ごしてきた日々がどこか遠い世界の出来事に思えた。

確固とした目的もなく空ばかり見て過ごしているぼくの旅について二人に話せることなど何もなかった。いったいぼくはここまで何をしてきたのだろう。あるのはそんな思いだけだった。

それでもこうやって旅の途上で出会えたことに小さな胸の震えがあった。ぼくらは出会ってしまった。一瞬が永遠みたいに重なってしまったんだ。

たとえそれが長い別れのためのプロローグだとしても。

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