マフィアと宝石 / バンサル
2003/09/14
ロンボク島ギリメノ。珊瑚礁に浮かぶ外周わずか2キロほどの島。ぼくたちは今日ウブドからこの島を目指す。
先週末バンコクへ戻ったばかりの友人は、何を血迷ったか、昨日の午後インドネシアに再入国していた。いつかまたどこかで……そんな気障な言葉で別れたことがお互い少し恥ずかしかった。
「アレや、今回はダイビングとシーフードとビールやから。はいVTRどうぞ!」と、友人はCM明けみたいなことを言って笑った。
世界最多の島嶼を抱えるインドネシアには実に一万三千もの島があると聞いた。東西幅はアメリカ大陸に匹敵し、気候区も熱帯雨林気候、サバナ気候、温暖湿潤気候と様々だ。
そして、ロンボク島に暮らす人々は、ジャワ島ともバリ島ともスマトラ島ともルーツを異にするササッ人と呼ばれる民族だった。彼らはぼくらと同じ蒙古斑を持つモンゴロイドなのだという。
朝七時、キレイ好き女王のお母さんに見送られてウブドの宿を出発した。空にはまだ昨夜の雨が残っていたが、それも徐々に収まりつつあり、東の空には控えめな晴れ間が顔を覗かせていた。
数日前、友人を見送った夜から天気が崩れ始め、それ以来ずっと冷たい霧雨が降り続いていた。しかし今、友人の到着に合わせ、上空を覆った雨雲は東の空へ立ち去ろうとしていた。
不思議なものだ。友人は快晴を持ち去り、こうしてまた快晴を届けに来てくれた。ツキは今こちら側にあるだろう。ギリメノへ着く頃には、目も眩む陽射しがぼくたちを迎えてくれるはずだ。
旅行代理店で事前に教わったルートによれば、ウブドからはまず東海岸の港町パダンバイへ向かい、高速フェリーで海峡を越えてロンボク島レンバルまで。そこから更にミニバスに乗り換えて島北部のバンサル港へ着いてしまえば、陸路はそれでおしまいだった。
バンサルの浜からはもう沖合いに浮かぶ三つの小島が見えるはずだ。西から順にギリトラワンガン、ギリメノ、ギリアイル。我々が向かうのは真ん中のギリメノだ。珊瑚礁に囲まれたとっておきの小さな島。
全行程で所要五時間。ぼくたちはそんな言葉に惹かれてチケットを買ったはずだった。午後の早い時間には島で祝杯を上げられるだろう。数日前、同じフェリーがロンボク海峡で転覆して犠牲者まで出ていたが、それでも決意が揺らぐことはなかった。
けれど、物事がそう簡単に運ばないのがインドネシアだった。高速フェリーのあまりの揺れにも閉口したが、問題はもっと人的なものだった。すべてがうまく運ぶとは思っていなかったが、旅行代理店で聞いた情報とのあまりの格差に深いため息がこぼれた。
時計はすでに午後一時を回っていた。そして、乗客たちはみなバンサルの港で足止めを食っていた。あろうことか、この寂れた港はロンボク島のマフィアたちの巣窟だった。
ウブドで発券されたジョイントチケットにはバンサル港からのパブリックボートの代金も含まれていた。しかしいざ蓋を開けてみれば、そんな設定には一切なっていなかった。
確かにパブリックボートはあった。午後四時半にわずか一便だけ。そして、その便が一日に出る唯一のものだという。話が違う。誰だってそう思う。だいいちそんな時間のパブリックボートに乗るために、わざわざ早起きをして高速フェリーに乗る人間なんているわけがなかった。
あまりの理不尽さに腹が立った。そして、乗客たの周りをぐるりと取り囲み、乱暴に何度もテーブルを叩いては大声でわめき散らすマフィアたちに、感情が大きく波立った。
「どうしても島に渡りたいのなら今すぐボートをチャーターしろ」
彼らの言い分は要するにそれだけのことだった。バックマージンが彼らの資金になっていることは容易に想像できた。混乱する旅行者たちをこうやって脅し、ボートを無理矢理チャーターさせて彼らは今日の飯にありつく。そんな呆れるぐらい単純な構図にすっかり取り込まれていた。
何度かぼくは異議を唱えた。「おかしいだろ、決定的に間違ってる。パブリックボートがないはずないじゃないか」と。
けれど、こうした話し合い自体がすべて無駄だった。何かひとつでも言葉を発すると、彼らは力任せにテーブルを叩いて脅し文句を浴びせた。
もう一度ぼくは反論する。とたんに椅子が蹴られ、テーブルが大きな音を立てて跳ね上がる。どこまで行ってもその繰り返しだった。友人はもう目を閉じて首を横に振るだけだ。そもそも相手にすらしていなかった。
そうだ、頭では分かってる、とぼくは思った。彼らの挑発に乗ってはいけないのだ。けれど、反吐のうな現実に感情を閉じ込めておくことができなかった。
「怒鳴るなよ、おかしいものはおかしいんだ。余計に金を払う理由なんてどこにもないじゃないか」
そうきっぱりと彼らに伝えると、マフィアのひとりが再びテーブルを蹴り飛ばしてぼくの肩を突き飛ばした。隣の人間が今度は脅迫めいたセリフを吐き捨てた。こういう時でもインドネシア語がすんなり理解できてしまう自分にうんざりした。
「殺す? 殺すだと? そうかよ、だったら今すぐここで殺してみろよ!」
そう心の中でムキになって思った。こんな馬鹿げた自分の幼さが、心の片隅で確かに顔を覗かせていた。やめろ、と心の中で誰かがブレーキを踏んだ。それと同時に、行け、という無鉄砲な叫び声も感じ取っていた。
大きく息を吐いた。そして、固く握り締めた両方のこぶしをゆっくりとほどいた。
結局、ぼくたちは午後四時半まで待つことに決めた。「不当にボートをチャーターする」という行為をけ入れるわけにはいかなかったからだ。
カメラを手に船着場を離れ、友人は友人で「散歩でもしてくるよ」とぽつりと呟いてどこかへ消えた。
ささくれだった気持ちのままバンサルの寂れた浜を歩いた。上空には重く湿った鈍色の雲が垂れ込めていた。試しにカメラを構えてはみたが、心から撮りたいと思えるものはどこにも見当たらなかった。
ふと、民家の軒先から甲高い子供たちの声で呼び止められた。振り向くと、彼女たちは恥ずかしそうにもう一度ハローと笑いかけ、もじもじと身体を寄せ合った。
まさか本当にぼくが立ち止まるとは思ってもみなかったのだろう。「やあ!」と片手を上げ、満面の笑みを浮かべて歩き出すと、彼女たちは「わわわっ、本当に来ちゃう。どうしよう」といった表情を見せて狼狽えた。
多様性の中の統一というスローガンを掲げるインドネシアは、すべての部族語を容認しながら、公用語としてのインドネシア語を学校で教えていると耳にしていた。
おそらくこの子供たちも普段はササッ語で暮らしているのだろう。向かいに腰掛けてインドネシア語で話をすると、彼女たちよりもぼくの方が単語数では上回っていることが分かった。時折、口をつぐんで言葉を探してしまう彼女たちに助け舟を出した。文脈で次の流れが容易に予測できたからだ。
写真をねだられ、その場でデジカメの小さなモニターに映してふたりに見せた。奪うように両手で抱え、代わる代わる何度も覗き込んでは、彼女たちは照れの混じった声で無邪気に笑った。
そんな仕草がたまらなく可愛いらしいと思った。そして、あれほどまでに荒んでいた気持ちが、こんなにもあっさりほどけてしまう自分自身が可笑しかった。
元気でね、もう行くねと、そんな言葉をかけて立ち上がった。
歩き出してからしばらく経っても、背後から楽しげな笑い声が聴こえた。振り返るとまた彼女たちは「わっ!」と叫び声をあげ、その場でぴょんぴょんと跳びはねながら笑顔を向けた。小さな手で懸命に手を振る仕草に、ぼくも大きく手を振って応えた。
小さく息を吐き出し、少しだけ胸を張って帰りの道を歩いた。
マフィアたちはまだあの場所にいるだろう。雨雲は深く垂れ込めている。さっさと島に渡りたい。いつになったら渡れるのだろう。ギリメノは本当にぼくたちを歓迎してくれるのだろうか。
「でも、そんなことよりも……」
ぼくは心の中でそう呟いていた。そんなことよりも、あの子供たちの瞳は本当に美しかったじゃないか。宝石のように透き通って、何もかも貫けるぐらいに力強かったじゃないか。
本当はもうそれだけで充分なのかもしれないと思った。
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