ぼくの居ない / メルシン(1)
2003/07/06
簡素なパイプベッドが六つ置かれたドミトリーに旅行者の姿はなかった。窓際のひとつを選び、何もない午後は身体を投げ出して天井を見上げた。
時折、ぐるんぐるんと緩慢に回るシーリングファンの音が心拍と重なった。内と外がひとつのリズムになる。そんな時、現実がふと揺らいで、虚と実の境目にある薄い膜に届いた気分になった。今ぼくはそこに横たわっているのだ、と。
旅に出て二度目の日曜日だった。すでに七つの夜と七つの朝を異国で迎えていた。でもそこに高揚感はなかった。奇妙な諦めや退屈を、砂を噛む思いで味わっているだけだ。手応え、手応え。そんなものを求めて旅に出たわけではなかった。何かを求めて旅に出たわけでは──。
朝、あてもなくメルシンの街を歩いた。歩くだけで一通りのものは見て回ることができた。名所があるわけではない。他のマレーシアでも見かけた街並みが無造作に転がっているだけだった。飲料水を買い、煙草を吸い、空を眺め、少しのやりとりをマレー語で為し、目に付いた食堂で簡素な食事を済ませた。どこへ行ってもひとりだった。
この旅の果てにぼくが手に入れられるものなど何もないのだろう。誰ひとり自分自身を手に入れることができないのと同じように。
かつて心療内科の医師はぼくにこう告げた。自分を大切にすることだけを考えなさい、もっと自分を大切にしなさい、と。けれどぼくはその忠告をうまく飲み込むことができなかった。頭では理解していた。でもそれだけだ。自分を大切にするなんてあまりにも漠然とし過ぎている。
窓の外から小さな男の子の泣く声が聴こえた。切り裂かれた思いを必死になって掻き集めるような声。けれどもその悲しみの底にあるものをぼくは察することすらできない。
目を閉じると東京の街並みが浮かんだ。ぼくの居ない場所で、今、雨が降っているかもしれない。そんな想いに駆られた。
柔らかく肌を濡らす七月の雨を思った。
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