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回帰する核家族の未来 1・決まり切った幸福と様々な不幸

不幸な家庭のかたち

レフ・トルストイは、『アンナ・カレーニナ』を「幸福な家庭は決まり切ったかたちしかないが、不幸な家庭のかたちはさまざまである」という著名な文章で書き始めている。19世紀後半のロシアを舞台とするこの小説は、政府高官の妻であるアンナと恋敵キティの対照的な生涯を描いたものだ。アンナは、人妻であるにもかかわらず、キティとヴロンスキーを取り合い、ペテルブルクの社交界にその噂が広がって締め出されてしまう。アンナとヴロンスキーが結果的に悲惨な最期を迎えるのに対して、その後のキティは地方地主リョーヴィンと結婚し、農村で信仰深く幸せな生活を送る。

幸せな家庭の決まり切ったかたちと様々な不幸のかたち。産業化が進展する19世紀後半のロシアにおいて、ペテルブルクのような都会ではキリスト教道徳が衰退し、乱れた秩序は自由奔放なアンナを生んだ。産業化は地方の農村にも及んだはずだが、その崩壊過程はずっと緩やかだった。少なくともリョーヴィンとキティのような地主夫妻にとって、信仰深く愛に満ちた生活を送るだけの余裕はあったのだ。

もちろん、こうした地方地主の生活も束の間である。産業化は農村の地域共同体をむしばみ、20世紀に入るとロシア革命が勃発する。だが、その緩やかな崩壊過程は、農村において信仰と利他に生きるライフプランを生み出したのである。言うまでもなく、そのライフプランは決まり切ったかたちの、何の変哲もない「典型」だった。

イマニュエル・ウォーラースティンと季節労働者

イマニュエル・ウォーラースティンは、資本主義はプロレタリア化を進めたが、驚くべきなのはむしろその遅さである、と言っている。ここでウォーラースティンが言いたいのは、工業資本が進出した地方においては、農村から工場へ労働力の供給が行われるが、それはフルタイムの労働形態を採らない。むしろ、農村生活を維持しながら、短時間勤務の、たとえば季節労働者として農民たちは工場で働くのだ。こうした家族をウォーラースティンは半プロレタリア世帯と呼んでいる。

資本制企業が完全なプロレタリアよりもむしろ、パート労働者、つまり半プロレタリアを望む理由は明らかである。半プロレタリアは農村で生計を立てているので、賃金が安くて済むのだ。それゆえ、資本制企業は、地方農村の家族を半プロレタリア世帯へと変えつつ、巨大な資本蓄積を成し遂げるのである。

リョーヴィンとキティが居を構えた地方農村もそうした緩やかな崩壊過程にあっただろう。それは、急速な産業化の進展によって既成の道徳と秩序が崩壊した都会と対照的である。都会ではそうした「典型」はもはや通用しなかったのだ。都会人たちは、自分なりの価値観を築きあげ、時には道ならぬ恋に身を焦がしながら、自由奔放に生きるしかなかった。それは様々な不幸のかたちとしてあるほかなかったのだ。

だが前述のように、遅かれ早かれ地方農村も崩壊してしまう。資本制企業にとって地方の地域共同体も、そこで生計を立てる農村の家族形態も束縛でしかないからである。資本制企業が欲しているのは、究極的には自由な労働者、プロレタリアだ。19世紀ロシアの農村経済を支えていた農奴は、貨幣経済の浸透の結果、賃労働によって現金収入を確保できるようになると、農地を棄て、地域共同体を崩壊させただろう。つまり、産業化は地域共同体から労働力をプロレタリアとして引き抜くことによって、地域共同体を破壊するが、これは農村の家族形態の変容をも意味するのだ。

トルストイが『アンナ・カレーニナ』を執筆した頃

トルストイが『アンナ・カレーニナ』を執筆した頃、つまり産業化が旧来の生活様式を完全に破壊する前の19世紀ロシアでは、両親と兄弟の夫婦を中心に構成される大家族が中心だった。世界中の多種多様な家族形態を研究するエマニュエル・トッドはこれを共同体家族に分類している。

共同体家族とは、トッドによれば、子供を持つ兄弟が、両親とそれぞれの妻とで同居する三世代にわたる家族であり、最低でも三組の夫婦、つまり父母と兄夫婦、弟夫婦から構成される。ロシアの共同体家族は父系であり、姉妹は結婚すると別の家で暮らすので、姉妹夫婦がこの中に入ることはない。やがて家長である父が死ぬと、兄弟が遺産を平等に相続し、兄弟はバラバラになってそれぞれが別の共同体家族の家長となる。

ロシアでの共同体家族の破壊

19世紀から20世紀のロシアにおいて産業化が破壊したのは、こうした共同体家族だったと言ってよい。こうした大家族から労働力がプロレタリアとして拠出されると、必然的に崩壊するのは言うまでもない。プロレタリアは両親の家を出ると、ある者は地元で賃労働にいそしみ、ある者は都会に移住する。その家族形態はもちろん共同体家族のような大家族ではない。単身者世帯、もしくは一組の夫婦とその子たちからなる核家族が多かっただろう。

こうした核家族化は世界中で進展した。日本でも戦前まで見られた三世代同居の「家」はもはやほとんど姿を消している。ロシアと同様、それはもはや小説でしか見られないと言ってもいいかもしれない。島崎藤村の『桜の実の熟する時』『家』などはその代表作である。その後、ジャパン・アズ・ナンバーワンとして戦後の経済発展を謳歌するようになると、「家」に替わって、「大黒柱」の会社員たる夫と妻の「内助の功」を基礎とした核家族が理想とされるようになった。「1億総中流階級社会」と呼ばれたこの時代は、核家族とは幸福のシンボルだったと言っていいだろう。

だが、戦後の終わりが叫ばれ、元号が昭和から平成に変わった頃になると、会社員たる夫の給与は下がり、妻は安い労賃のパート労働に勤しむようになった。こうした核家族の共働きによっても世帯収入は思ったように増えず、日本経済は長期低迷期に突入して久しい。決まり切ったかたちの幸福の「典型」もほんの束の間のことでしかなく、様々な不幸のかたちが広がったのである。

(続く)
筆・田辺龍二郎

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