都市の生活

皆様お疲れ様でございます。前の記事では寒季の終わりを迎えた頃だといいましたが、今書いている途中に戻ってきたようです。季節が変わる瞬間はある服装や機械を片付けながら別の服装や機械を取り出すという忙しさを覚えます。我が家では特に扇風機の片付けが面倒です、収納のスペースが益々狭くなり……「近いうちに大掃除をせんと」と思いながら忘れがちな性格なのが私です。

でも2023年が終わる前にやっぱり収納の中の積み重ねをどうにかしたいですね!

そんな悩みを抱き始めたのは現在よんでいる小説、『森の生活(ウォールデン)』のせいかもしれません。こちらは著者のH.D.ソローが2年も一人で森の小屋で生きた生活の思い出と考えをまとめた本です。都市生活をする人は誰でも少なくとも1回は「ちゃんと自給自足して自然と生きたい」という気持ちを持ったことがあると思いますが、本当に自分の手で小屋を作って2年も森で生活する人は非常に少ないでしょう。

しかし今すぐ家から飛び出して八丈島に生きる人ではなくても『森の生活』に感心を持てると思います。現代はスマホやSNSの普及によって自給自足の精神が劣化し、フェイクニュースに落ちる恐れが高まっています。そこでソローが一人で森の中での生活を続け、自給自足の重要性を強調するのが心に響くでしょう。ソローほど完全な自給自足の暮らしをしなくても良いですが、少しでもその考えを生活に込めると人生を驚くほど富ませる可能性があります。

『森の生活』で最も誤解されるのは、ソローがずっと一人であったと思われている点です。実はソローはすごく社交的な人物で、客を家に招待したり、近くの村へ散歩をして村人と話をしていました。しかしほとんどは確かに一人で、小屋の隣にあった小さな菜園によって生きていました。

ソローが毎日通ったウォールデン池(写真:Library of Congressから)

そのような一人がちな生活は私たちもよく知っているイメージでしょう。特に2020年と2021年には感染症によるソーシャルディスタンスの影響で友達や家族と一緒になる機会が非常に少なくなり、孤独を感じたのではないでしょうか。人間は社会的な生き物と言われ、政府による制限が解除された時には人々がとても喜んでいる反応がネットでも大きく報道されました。

しかし私は少し逆でした。実を言うとこの2年の間、家から一番遠出をしたのは10分ほどの散歩によって到着する区民公園です。友達に会いに行くこともなく今もまだテレワークを続けてます。こういった一人がちの生活は個人的に落ち着いたもので、他人から「孤独は寂しくないの?」と聞かれますが、正直言うと最近の記憶の中で最も心が安定してる気がします。

そしてソローと同じくこういった生活は完全に一人という訳ではありません。アパートの窓から道を歩く人を見る。部屋を出て同じアパートに住む方々と少しお話をする。近くの商店街では、私は見覚えのある人物になったはず。そしてネットで友達と会話をしながら毎週会社と会議で打ち合わせをします。

『森の生活』を読みながら感じたのは「一人で生きる」生活は「独りぼっちで生きる」生活だとは限らないということです。誰にでも個性や好みがあり、自分らしく生きる方法もあります。そして(感染症などの)外からの影響や(森に住みたいという決断のような)心からの影響で、誰でも変わった生き方を試す機会はきっと見つけられます。

その変わった生き方が自分にとって正しいとは限りません。もしかしたら前の生きかたがより相応しかったと気づくかも知れません。しかしその機会を逃すよりも、森での生活を試すことにはそれだけの価値があるのではないかと思ってしまいますね。

でも寒い冬が訪れると、小さな小屋よりもエアコンがあるアパートに住むのは悪くないです。

マーティン ベン


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