僕は罪悪感の中に生きている

このような考え方で
生きている人はいないだろうか。

「自分には価値がない」
「生きてるだけで迷惑をかけている」
「常に完璧を求めている」
「失敗を悪だと考える」
「完璧以外は0点」

この考え方で生きていると
本当に生きているのが辛くなる。

なぜこんなことが言えるかというと
自分が今それで苦しんでいるからだ。

大学の陸上競技部で学生ながら
トレーナー活動をしている中で
様々なことで完璧を追い求めてしまう。

・外傷の初期対応
・監督やコーチとの連携
・試合の時の救護活動
・担架搬送や現場での連携
・選手のコンディショニング調整
・部内での情報共有

これらのことをマルチに
こなさなければならない。

さらに今ブロックの副ヘッドという
立場になり責任が今までとは異なる。

ブロックだけに目を向けるのではなく
部全体に目を向けなくてはならなくなる。

もうキャパオーバーだ。
すでに自分はキャパをオーバーしていたんだ。

そうなれば自己嫌悪を罪悪感の塊だ。

こなすことのできない自分
責任から逃げているという感覚
罪悪感

休んでいる時も常に襲われるこの感覚は
徐々に心を弱らせる。

罪悪感の中にいると
正常な判断ができなくなる。

思考は止まり
周囲に心配と迷惑をかけ
何もできない日が続く。

生きることすらめんどくさくなる。
自分なんか生まれて来なけりゃ良かった
なんて思うことすらある。

自分という存在が
この世から消え去ればいい。
人の記憶からも消えて
自分という概念がこの世から無くなれば
何もかもリセットされて心が楽になる。

そんなふうに思う日が多くなる。

トレーナーとして生きると決めたが
少々自分にはレベルが高すぎたようだ。

自分にはマルチにこなせる
能力はなかったようだ。

一つのことしかできない。
そんなのはトレーナーとして
生きてはいけない。

また挫折をするのか。
また諦めるのか。
また新しい目標を作らないといけない?
また努力を積み重ねなければならない?
嫌なことも我慢して生きていかないといけない?

そんなんだったら、
何もせずただ生きているだけの方が楽だ。

自分が生きてるだけで
喜んでくれる人はいるし
自分が死んだら間違いなく親は悲しむし

だから死ぬことはできない。
死ぬ勇気もない。
死ぬこともできない死に損ない。

消えたいと言っておきながら
帰ることができない。

矛盾だ。

でも一貫してる人が珍しいと思う
矛盾のない人なんていない

でもどこかで矛盾のない人生を
目指していた。


つまりは完璧な人間を目指していた


そんなのはなから無理だったんだ。

他人の目を気にして
自分の中の矛盾を排除して

でも排除しきれなくて
自分の行動の矛盾に気づいて
フラッシュバックして
死にたくなる。

こんな思考回路をしているから
常に罪悪感を感じているんだ。

頭ではわかっている。
抜け出し方も

人間完璧な人なんていないんだ
矛盾があって当たり前

そう思って生きていれば
罪悪感なんて感じないんだ

失敗しても
まぁ人間だし仕方ないか

なんてふうに受け流せる。

でも、現実どうだ?
全くできてないじゃないか

だからこうやって精神科にまで行って
薬なんかもらって
部活を休ませてもらって。

情けない。
部活の人に、選手に迷惑と心配をかけて
トレーナーなのに何やってんだ。

全く。話にならない。論外だ。

こうやって自分の自己嫌悪は完成される。

完璧な鬱モードだ。
精神を病む考え方の典型的な例だと思う。

こんな人生嫌だね全く。
生きてる気がしないや。

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