見出し画像

リーダーは牽引しない。

本物のリーダーは皆を引っ張るもの...
何年か前、SNSで見つけた1枚の写真を手にしたスタッフから、「先生はいつも僕らを先頭で引っ張ってくれるリーダーですね」、そんな言葉を投げかけてくれたことがありました。
 特に意識もせずに今まで働いていたつもりでしたが、そんなように見てくれているのかと、ほくそ笑んだ覚えがあります。
 確か、エジプトのピラミッドに石を運ぶような絵でした、
A:本物のリーダーは皆の先頭に立ち石を引っ張っる。
B:ダメなリーダーは石の上に座り、鞭で「働け〜働け〜」と。
スタッフは、私を前者だと言うので、一瞬嬉しい気がしたが、その頃から「本当にそうなのか、それがいいのか」と違和感を感じ始めていました。

今度は自分の番だ

 院長同士で集まると「最近の若い奴は...」と話が出るのが常なのですが、単なる愚痴は、スッキリしても発展性に欠けることが多く出来るだけ乗らないようにしている。と言っても若者を世代で分けて括るみたいに、自分も同じように愚痴をこぼしたいときはある。
ただ、先輩にガンガン意見を言い生意気だった20代の自分を、「最近の若い奴は」と思われていたに違いない。だからこそ、上も下も世代を超えて理解するよう努めてきたつもりであった。
 ただここ数年、新卒で入社してくる若者は、自分の子供と同じ、またはそれよりも下の年齢になってきた。業界の先輩という気持ちにプラスして、父親の気持ちが入る時がある、「俺と同じ立場になったらわかる」「結婚したらわかる」「親になったらわかるよ」みたいな言葉は息が詰まる。これがどうも仕事を教えていく上で邪魔で仕方ない。感覚が近かった世代から違い、子供ほど年齢が離れてきた。

見て盗む

 自分の時代、盗むとは言葉は悪いが、実際仕事は目で盗み覚えた。師匠の会話の一語一句も聞き逃さず、繰り返し使うことで、本当の自分の話し方を忘れるほど、自分のものにした。
 怪我の程度の判断は経験と数でできるようになる。理屈は教科書に載っているし、技術は練習すれば身につく。しかし難しいのは「安心」を提供すること。これは言葉選び・遣いになる。当然マニュアル化された言葉ではなく、相手を見て都度変えていけるような「感受性」を備えることがとても大切な仕事だ。

若い人は勤勉

その感受性に対して戸惑いを覚える若い子(スタッフ)が最近多いかもしれない。感受性は、子供の頃に養うはずだが、この不確かな感覚を強すぎず弱すぎず備えていなければいけないところに医療に携わるものの難しさがあると思っている。ただこれ以外の部分で、今の若い世代は非常に勤勉だ。真面目な子も多い。少なくとも歴代スタッフたちは、セミナーにも頻繁に参加するし、本もよく読み、技術練習もする。そして休みの日、スポーツ現場に帯同し経験を重ねている。
 よく世代を皮肉る象徴の言葉として「何でも合理的」と聞くが、自分たちの時代でも当時なりの合理性があったのではないか。だからこそ、大差なく彼らの合理性は、「目で盗めないので、教えてください」となるのだろう。

縦も横も欲しい。

こうしていろんな世代と仕事をしてくると、今の若者と一緒に働くには、縦の関係と横の関係を共存させることが必要なのではないかと思うようになってきた。自身が経営者だから、院長だからと椅子に腰掛け、鞭で叩くのは全く違うし、いつまでも先頭を歩き続けるのもなんだか違うと思っている。
そういう中で、縦なのか横なのかと考えるのではなく、縦も横も必要ではないか。
 前述した若者の感受性を育てるにはどうしたらいいのか。これは横社会。ガンガン食いついてくる若者は別として、つい自分の価値観を押し付けたくなるところは我慢し、若者の考えをしっかり聴ける環境は作るべきだろう。しかし職人として、先輩として教えていかなければいけないところは横のようで縦になることがあるかもしれない。そういう意味で縦一辺倒ではいけないのではないかと。

時々一緒に働くことがある若い柔整師に今考えている横社会の話をした。「めっちゃいいっすね」と喜んでいたが、数日するとその若者は私にタメ口になっていた。
「そういう横じゃないんだけど」。

理想を現実に叶える道のりはどうやら険しそうだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?