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人それぞれの地獄の話。

突き落とされた事は誰しもが経験あると思う。
人生から色が消えた瞬間。何かを宣告された時、大切な何かを失った時、裏切られた時。
そんな時はこの世界でたった1人にされたように感じる。天涯孤独、味方がいない。
誰から慰めの言葉をもらおうと、そんな物では決して癒される訳でもなく自分で乗り越えていくしか道はない。いずれ時間が解決すると分かっていても、頭では理解していても心が追いつかない。そんな瞬間はきっと誰しもが経験あると思う。

ある日、テレビを垂れ流していたら平原綾香のjupiterが流れた。懐かしいなとぼんやり聞いていた所、ある歌詞の所で時が止まる。

「意味のない事など起こりはしない」

子供の頃、声に惹かれ何度も聞いた歌。私にとってはオリコンランクに入りどこででも耳にするようになった数あるお気に入りの歌の1つに過ぎなかった。
ただ、当時の私には効果テキメンだった。
涙が溢れて止まらない。少し時間を置いてパサついたカレーを泣きながら食べた。

1人にされたとは思っていない。孤独で辛いとも感じてはいない。ここ数十年で起きた現象を受け止めたつもりではいたけど心ではまだ受け入れてなかった事に気が付いた。起きた現象について初めて涙を流せた。

結局、それまで自分に向けられた善意には感謝はしていたけれど刺さりはしなかった。
何かのタイミングで何かの作品や意図しない人の言葉に触れた時、自分と状況が重なる物を見つけ人の心は動かされる。

「ショーシャンクの空に」という映画がある。この映画は何度も観たが、10代、20代、30代で観る時の感受性も変わるせいか視聴後の満足度や受ける感銘の種類も変わった。平原綾香の歌もまさか子供の頃に聞いた歌が数十年の時を経て私を救い涙を流す歌に形を変えるとは思わなかった。

1人で生きるという覚悟を持って生きている。今となってはもう致し方ないと思い生きてはいるけど、本音としては普通の人生を送りたかった。普通に結婚して子供を産み、紆余曲折ありながら綺麗であり続けるために些細な自己満足程度の努力をして。旦那と呼べる人や子供に囲まれて山あり谷ありの生活に憧れを抱きたかった。


これが私にとっての地獄だ。
宇垣美里の放った言葉。

「人にはそれぞれの地獄がある。私にも私の地獄があるように。」

私にとっての地獄は他人に理解され難いと認識してる。だから当該の事情を話す事もない。不躾に聞かれる事もあるけど、そういう輩にはそれっぽい事を適度な空気を纏って湿度の高い嘘を並び立てればそれなりの物語が作れる。

それを聞き出そうとする輩とは一線を置くようにはしているけど、そんな彼らにも私には到底理解し難い地獄がある事も分かる。浅い深いは関係なく当人が生きる事情を考慮してしまうほどの物があるのならそれは地獄になってしまう物だ。


ただしB'zのMy lonely townという歌の中にある歌詞が私の人間関係を構築する上で重要視している事がある。

「誰かと僅かに共鳴できる事。なんとか見つけ出して辛うじて繋がる。」

そうなのだ。人間は本来個々の生物で、他人と底から分かり合える訳もなく生物として集団生活は向いていないと私は思っている。
それでいて理性では「社会主義」だの「民主主義」だので集団心理を煽る物がこの国には多いものだから誰かと共鳴する事で1人ではないと勘違いを起こす。

私は辛くなる時、宇垣美里やB'zを思い出す。誰しもが抱えていて苦しいのは私だけではない。他人を受け入れる事も出来ない私だけれど、私だけじゃないと思うと強くなれるくらいには都合のいい解釈ができる頭にはなっている。

その時以来にjupiterを聞き久しぶりにその時の感情のままに文章を書き殴ってはみたものの、宇垣美里を思い出す事により今は明確に自分が為すべき事を思い出した。
ありがとう宇垣美里、綺麗だから好きです。


私は自分が思う以上に人の作り上げる作品に気分を落とされそして上げられているんだなと実感したある夏の夜。




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