ぺんぎん|なおき

絵を描いています。

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鏡が怖かった

小学4年生ぐらいだったか、鏡を見るのが怖かった。鏡を見るのはいつでも、というわけではなく、みんなと一緒にいる時に映る自分の顔を見るのが怖かったのだ。他の人もいると、自分の顔と横並びにして他の顔が映るので、どうしても比較してなぜか恥ずかしいような気持ちになっていた。この感覚はなんだったのだろう。小学生の自分は、どこかみんなと違うこと、違ってしまうことに恐怖を感じていた面があったように思う。冬場で袖がもこもこになっているアウターを着るのも、太っているように思われたくないという気持

    • 退屈の怖さ

      この頭の重さはなんなのか。一回考えてみる必要があると思った。動画を垂れ流して、自分の方へ見向くことを避けているのは簡単だが、それだけでもしんどくなってくるので、この塊の感じをどうにか取り出してみたい。暇である時間が怖いような感じ。明日が迫ってくるのに怯えている。怯えるほどのこともないのに。明日に怯えず、明日を楽しく迎えるには?こっちを考えてみようか。明日は台風が来るらしい。朝から用事があるのだが、台風に降られながら出かけることになりそうだ。傘を置いてきてしまったが、残りの傘が

      • 暇であること

        さて今日は暇であることについて考えてみようと思う。今日は大学の研究室で先生や生徒と議論をしたのだが、僕はやはり人と何かについて議論し、うなり、考えていくということが好きなのだ。何か問題があってそれをひとつひとつクリアしていくことがとても楽しい。一見すると見えてこない問題に目を向け、違う視点から考えてみることによって、根本的に解決に進む瞬間が面白い。それを見つけられて、聞いた人のツボを押すことができたときそれは快感になる。自分にとっても癖になる体験だ。そんな感じなので、人とずっ

        • 抽象画を描く時間について

          僕にとって抽象画を描く時間とは、休息であり安らぎである。筆をどのように動かしてもいいのは幸せなことだ。幼児のときも、お絵描きの時間はあったはずだが、その幼い自分は、周りの目を気にしていたような気がしている。記憶はないが、反射的に人の目を見ていたような感じがある。小学校に入ってからなんて、まあかなり他人からどう見られるかを気にして、縮こまった絵を描いていた覚えがある。あの笑った声だって覚えている。だけどあの子を恨む気持ちとかはない。友達だったけど、その人は悲しい人物でもあった。

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        記事

          自分の知っていることに対する解像度は高いのに、自分の知らないことに対する解像度の低さや免疫の低さがある人は、興味のない相手に興味がないことを悟られてしまい、関係を続ける事はなくなるだろうな。

          自分の知っていることに対する解像度は高いのに、自分の知らないことに対する解像度の低さや免疫の低さがある人は、興味のない相手に興味がないことを悟られてしまい、関係を続ける事はなくなるだろうな。

          グラフィックデザインは実用に対して中指を立てることもある中で、実用でなければならないという矛盾を抱えており、イカしたデザイン使っちゃうぞの人たちは、そういう土台から出発した中途半端な勝負をしているように感じてしまう。制約は創造性を生むが、この手の制約は緩慢さをもたらしている。

          グラフィックデザインは実用に対して中指を立てることもある中で、実用でなければならないという矛盾を抱えており、イカしたデザイン使っちゃうぞの人たちは、そういう土台から出発した中途半端な勝負をしているように感じてしまう。制約は創造性を生むが、この手の制約は緩慢さをもたらしている。

          日記 2024.7.19

          承認欲求とはなにか考えてみたい。私は承認欲求は誰しもあるもの、というより、自分には確固としてあると感じられるものであった。しかしながら今それが揺らいでいるように思う。思い出せる限りの古い記憶で、僕が創作していた時のことを探してみると、二つ見つかる。ピカチュウの小さなフィギュアの上に透明のプラコップを被せて、ストローか何かチューブ状のものを繋げ、ポケモンの研究室みたいなものを作ったこと。幼稚園の雛祭りの行事で、雛人形をみんなで作る際、僕一人だけが髪の毛をひたすら黒の折り紙を使っ

          人と話すことの楽しさと怖さ

          人と話すのは楽しいが、一方で緊張し身構えてしまう自分もいる。自分の話ができるのはとても幸せなことであるが、それは相手が必要であって、その相手をもし不快な気持ちにさせてしまったら、もう僕の話し相手になってくれないのではないか。というような不安が少しだけ芽生えているのだ。話している時は楽しいが、別れ際など会話が終了する間際に発した自分のことばがリフレインして気になってしまうことがある。そういった時というのは大抵相手はそこまで気にしていないものであるが、やはり自分では気になってしま

          人と話すことの楽しさと怖さ

          幼稚園児の発明家。なが〜〜〜〜〜い髪の雛人形。

          幼稚園の時、僕は最高な発明家だった。遊びを見つける天才だった。それも自分だけの。僕が発明した遊びはみんなが真似して楽しんだ。僕はファーストペンギンであることが好きだった。ファーストペンギンになろうとも思わず、ただひたすらに自分の「これだ〜〜」みたいな気持ちでやっていたことが、周りに伝染していったのだ。 唐突に思い出したのは、幼稚園のひな祭りシーズンのある日のこと。雛人形を折り紙か何かでみんなで作る会があった。みんなが好きな形の雛人形を作る中、僕はお雛様の髪の毛をのりでくっつ

          幼稚園児の発明家。なが〜〜〜〜〜い髪の雛人形。

          学校と、外への窓。

          家庭教師から帰ってきた。いつも授業の終わりにお母さんに今日やった教科について説明するのだが、これが意外と難しい。「今日は数学と英語をやって、〇〇という単元をやりました。このあたりが難しくて、このへんが意外と良くできていて…」「…まあそんな感じで進めていこうという形です」のような感じで歯切れが悪く、毎回悩みどころである。まあお母さんの方も慣れていると思うし、そこまで期待しているとは思ってはいないが。担当している子は中学生男子なのだが、彼とはよく授業の合間に雑談をする。今日は「数

          学校と、外への窓。

          僕の継続のコツ

          僕にとっての継続のコツとは、人に見せないこと・教えないことだった。 継続とは、努力をすることだった。なにか実現したいもの、手に入れたいものがあり、そのためにコツコツと頑張るものとして捉えていた。中学生の時、体を強くしたくてトレーニングにハマっていた。コツコツと自分なりに頑張っていたのだが、気がつくと継続が終わってしまった。その原因は、友達に話したからだと思った。僕は自分を自分で認めるという部分以外に、他の人に褒めてもらいたいからという理由で継続していたのだ。人に見せていない

          何に興味をもってきたか。どんな日々を送りたいか

          何を書くべきかも決めずにnoteを開いてみたが、何について書こうか。僕が何に興味を持ってきたか考えてみようか。 現実を忘れさせてくれるものが好きだったかもしれない。SFが好きだった。未来の技術は、あらゆる自分の妄想が手に取るように形になってくれるようで輝いて見えた。そこでの自分の妄想とはなんだったのだろう。技術によって軽やかになる自分を夢見ていたのではないか。現実を逃避するために未来を夢見ていて、その未来の技術で救われる自分を妄想していた。救われたいほど現実がひどかったわけ

          何に興味をもってきたか。どんな日々を送りたいか

          学内ギャラリーで初めて個展を開催した1週間(振り返りPART2.)

          PART2.というものは大抵が駄作になる。実際、読みづらく、脱線お構いなしの乱文になりました。駄作でも良いじゃない。そういった温かい目で読んでもらえると助かります。(2024年6月14日) さて、今日は6月4日(火)で、個展が終了したのが5月31日(金)なので4日ほど経過している。個展を開催するまでという記事を書いたのは会期終了の前夜だったということもあり、頭が興奮していて読み応えのある記事になった。気がする。 しかし今は落ち着いており、自分にとって鮮烈であった個展の1週

          学内ギャラリーで初めて個展を開催した1週間(振り返りPART2.)

          学内ギャラリーで初めて個展を開催するまで(振り返りPART1.)

          5月31日0時15分、個展最終日を控えた夜中である。パソコンに向かい、ひとりここで今回の展示を振り返ってみようと思う。 5月27日から31日までの約1週間、僕は初めての個展を開いた。学部生の頃からいつかやりたいと妄想していた願いが、大学院2年生にして結実した。結実した、と言っても僕がギャラリーの窓口にメールを送って申請したことによって個展を開くことができているわけで、この機会がいきなり天から降ってきたわけではないのだが。 申請をするのは使用したい月の2ヶ月前からと決められ

          学内ギャラリーで初めて個展を開催するまで(振り返りPART1.)

          好きな作家について語ってみる・荒川修作

          僕が荒川修作に強く興味を持つようになったのは、ドキュメンタリー映画「死なない子供、荒川修作」という映画を観たのがきっかけだ。彼は「人は死なないことができる」と言う。彼の言葉は難解であるが、僕は「身体というものを真剣に考えろ」というメッセージであると受け取っている。彼の言う身体とは、皮膚で覆われた手足や目鼻口といった部位を超えているようだ。荒川修作が身体に着目するのは『意味のメカニズム』という、意味の発生について研究した絵画群以降のことだ。その仕事において、意味の発生には身体が

          好きな作家について語ってみる・荒川修作

          あまりに非情な

          自分があまりに非情な人間で、当たり前にすべきこともまともにできない人間で、与えられた恩も忘れ、友情も大事にせず台無しにしてしまうようなことが多々あり、その度に反省もせずただひたすらに自分を慰めてることへと頭を使う。こうして文章を書いているのも逃げた結果の自分の救いのためであり、怖くて現実に目を向けられていないのだ。なにをしているのか。怖い、明日が怖い。人からの信用を無くしていく瞬間がわかるようで、なんだかほんとうに、怖い。怖くて、自分が情けない。本当に自分はのうのうと生きてお