好きな作家について語ってみる・荒川修作

僕が荒川修作に強く興味を持つようになったのは、ドキュメンタリー映画「死なない子供、荒川修作」という映画を観たのがきっかけだ。彼は「人は死なないことができる」と言う。彼の言葉は難解であるが、僕は「身体というものを真剣に考えろ」というメッセージであると受け取っている。彼の言う身体とは、皮膚で覆われた手足や目鼻口といった部位を超えているようだ。荒川修作が身体に着目するのは『意味のメカニズム』という、意味の発生について研究した絵画群以降のことだ。その仕事において、意味の発生には身体が分かち難く結びついていることに気がついたという。意味が生まれるのは身体現象によるものなのだ。意味の発生の現場とは、幼児である。幼児は生まれた瞬間には1000の感覚を持っており、生まれ落ちたこの世界を全身を使って殴り、蹴る。その過程によって意味を獲得し、余したエネルギーは皮膚で覆われた身体に抑え込まれていく。これが僕の荒川修作から学んだことである。彼は養老天命反転地や三鷹天命反転住宅といった、奇抜な土地や住宅の設計を行っている。これらに共通するのは、日常生活では起こり得ない身体の使用を強制されるということである。そこでは地面が傾いており、通るためには重心がずれる。体を曲げないと通れない道、ごつごつしており波打った地面。そのような見慣れない空間に出くわした人間は、意味の発生以前の意識に立ち返ることになる。身体の使用を一から構築し直す機会に遭遇する。また、その空間についての「使用法」が用意されており、意識の使用の再構築も誘導させる。

幼児の話が出た。荒川修作は、自然に対して怒りを抱く幼児である。富士山なんてものをありがたがる日本人に憤っている。あんなもの自分たちで作ってやればいいのだと。岡本太郎は、目の前の太陽を掴もうとしてそれが叶わずに泣く幼児のことを詩に書いたが、まさに彼はその幼児の精神を持っているようだ。この世で一番光り輝く太陽という花を、掴んでやる。そのような怒りだ。「人は死なない」という彼の言葉も怒りである。彼は幼少期に、同じくらいの年齢の少女を自分の腕の中で看取っている。「死んじゃいけない」と願う少年の心は、自然の摂理によって否定された。「人は死なない」とは、その瞬間の荒川少年の怒りから始まっているのだろう。荒川修作のやり残した仕事が引き継がれていないのは、彼の仕事が芸術行為だとみなされてしまっているからだろうか。

とはいえ、彼の芸術家としての側面も好きだ。彼が現代美術に舵を切っていれば、ウォーホルぐらいのスターになっていただろうと思う。しかし彼は早い段階で芸術に見切りをつけていた。師匠であるマルセル・デュシャンからも「芸術はやるなよ」と釘を刺されていたこともあるが、荒川修作はそもそも芸術を評価し保護する権威に対する興味がなかった。(デュシャンは芸術から手を離したように見せかけ、隠れて遺作を作っていた。)芸術としての代表作といえば「意味のメカニズム」だと思うが、それ以前の図式絵画は生で見て感動したし、棺桶シリーズから漂う宇宙からの贈り物感も凄まじい。いつか、奈義の龍安寺を見にいきたい。

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