あの人

 元彼がパパになったらしい。
 8年の付き合いの末に、浮気をして、私を捨てたあの人が。

 あの人の情報を知りたくなくて、引き戻されたくなくて、SNSを一切見なくなった。だけど、ブロックはしなかった。ボタン1つでどうとでもなるその繋がりを、どうしても断つことができなかった。
 連絡先も消せなかった。
 もしかしたら、数ヶ月、数年経ったら、私を選ばなかったのは間違いだったと、せめて友達に戻りたいと連絡が来るかもしれないと、淡い期待を心のどこかに持ち続けていた。
 バカな女だと思う。

 一切見なくなっていたSNSを、仕事の都合で仕方なく開いた時、たくさん溜まっていた通知の上から3番目にあの人の名前を見つけた。
 別れて1年と5ヶ月。
 その通知を無視するべきだとわかっていた。どんな内容であれ、私には毒にしかならないのだし。見なかったことにして、なにも知らないままで、やっと平穏を取り戻しつつある今の日常をこのまま生きるべきだと、ちゃんとわかっていた。

 わかっていたのに、無視できなかった。

 わかっていた通りに、私は後悔した。

 赤ちゃんの写真だった。真っ白なふわふわした洋服に包まれた、どこにでもいる赤ちゃん。「親バカ」という単語が目に入って、なんだかそれがあまりにもあの人に似つかわしくない単語に思えて、見ていられなくて、すぐにページを閉じた。

 だけど、しばらくして、あの人がどんな言葉を綴っていたのかやっぱり知りたくなって、やめればいいのに、絶対にやめた方がいいとわかっているのに、もう一度、同じページを開いた。

 「少し前に子供が産まれました。自分でも親バカって思うけど、本当に可愛いです。」
 そんな感じのことが書かれていた。

 付き合って6年くらい経って、勇気を振り絞って、結婚したいと私が言った時、あの人は、結婚とかはあんまり考えてない、と言った。子供について話した時、自分の遺伝子が残るのが怖い、と言った。
 別れ話がこじれにこじれて、二人とも疲弊しきっていた最後の数ヶ月、あの人は、もうひとりになりたいと繰り返し言っていた。私とも別れるけど、浮気相手とも別れると言っていた。俺は人を不幸にするから、と。

 人は誰かを手酷く裏切っても、幸せになれるんだな。

 人生で一番、好きな人だった。
 「愛してる」という気持ちを、初めて実感をもって伝えられた人だった。
 分かり合えたと思えた人だった。
 裏切られても、別れても、どうしても嫌いになれなかった。心の底から好きだった。

 でも、これでやっと、あなたのことを忘れられる。

 あなたは光の中を行く。顔もわからないほどに、眩い光の中を行く。

 私は。

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