私をやめる

 私は私であることをいつもやめたかった。

 今日、振られた。
 好きな人ができた、と言われた。ごめん、と言って、彼は泣きそうな顔をしたけれど決して泣かなかった。
 彼の態度は誠実そのもので、非の打ち所がなかった。別れを告げられた瞬間から、私にはもうなにもできることがなかった。ただ、そっか、と呟いて涙をこらえる他に、なにもできなかった。
 せめて最後はイイ女であろうと思って、無理に笑顔を作ったりした。ちゃんと言ってくれてありがとう。今までも、いっぱいありがとう。そんなことを言ってみた。彼も、ありがとう、ごめん、とか言いながら無理に笑顔を作って、私が差し出した手をぎゅっと一度だけ握り返してきたりした。
 その手を離したくはなかったけれど、もう私のものではないし、すがりつくのはかっこ悪いと自分に言い聞かせて、すぐに離した。顔を上げたら彼と目が合って、お互いに涙を貯めたまま微笑みあった。それで、私はバッグを手に取って、玄関から外へ出た。
 夜で、ひとりで、月が綺麗だった。

 綺麗なお別れだった。綺麗すぎる別れだった。
 なんにも、残っていなかった。
 ただ、私がひとりでそこにいるだけで、空っぽで、なにもなかった。

 私は私であることをいつもやめたかった。
 だからやめようと思う。
 私のことを好きでいてくれる人は、もういないのだし。

 髪を切るのと、首を吊るのとどちらにしよう。
 どちらでもきっと同じなのだけれど。

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