塾選びの視点―映像授業に向いている人

映像授業に向いている人は、少数派である

ざっくりとした基準になるが、少なくとも偏差値60以上なければ、費用の大半をドブに捨てることになる。某映像授業の予備校スタッフとして長年勤務した立場からはそう言える。

スタッフとして約10年、観察した状況

・利便性を強調する営業
そこで行なわれていた営業トークは、「部活が忙しくても、自由な時間に受講できる」、「体調不良で休んでしまっても、振替ができる」というものである。しかし現実は、「いつでも振替できるので、今日は休んでもいいか」である。無論、塾としては受講することを強く促すのであるが、根本的な拘束力を欠いているので、自主性や責任感のある生徒でなければ、塾代はドブに消える。

・映像授業は集中しにくい
映像の中にいるのは有名講師であるから、聞き手の注意を引くのはお手の物である。しかし、所詮は映像であるから、そこに臨場感はない。講師と生徒の視線が合うことは一度としてない。また、聞き逃しても巻き戻せばいいという安逸が集中力を堕落させる。結局は、聞き逃したことにさえ気づかずに、授業を聞き流すのである。そして、聞き流したことを指摘されても、聞きなおすことは稀である。該当部分を探すことが面倒だからである。

・人と人との関係が稀薄になりがち
通常の塾であれば、教科指導を通じて、人間関係が形成される。映像授業にはこれがないので、主体的でオープンな学力の高い人間でなければ、損をすることも多い。また担当スタッフとの相談も、結局のところお金の話に行き着いてしまうことも多い。

自立的学習には、「学力」が必要である

ここにいう「学力」とは、テストの点数ではない。文字通り、「学ぶ力」である。講師の話を聞き取り、理解し、再現し、問い直す力である。大抵の人は、講師の「話を聞き取る」段階で躓いている。ノートの取り方も知らない(ノートの取り方は教えられるようで、教えられない、個々人の工夫が大切である)。「学ぶ力」は天性のものか、努力の賜物か知るところではないが、「学ぶ力」がないのであれば、映像授業はおすすめしない。

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