自己紹介
こんにちは。柔道整復師の安達愛美です。
愛美と書いてめぐみと読みます。
のアカウントを紐付けしておきますので、是非宜しくお願い致します。
自己紹介した事がなかったので自己紹介させて頂きます。
3歳から水泳を始める
私は元々体が弱くしょっちゅう発熱を繰り返しては扁桃腺も腫れて両親に心配をかけていた子供でした。
心配もかけていましたが、いたずらっ子でしたのでかなり迷惑もかけていたと思われます。
そんなこんなで体力をつける為にスイミングスクールに通い始めました。
そのお陰か体力もついて、熱を出す事も減っていきました。
小学6年生になってからは選手コースに。
なんとなく選手コースに行ったものですから、かなり不真面目でした。
キツイ練習やだ〜
コーチ怖い〜
本当になぜ選手になったのか…。
そんな子供時代を過ごしてました。
高校生の時に大ケガ
中学生の頃から真面目に練習に励んでいた私は着々とタイムを伸ばして関東大会に出場。
もっと速く泳ぎたいと思っていた矢先に、「バタ足の時、もっと足首を柔らかく使いなさい。」というアドバイスを聞いて泳ぎ方を変えたところ
足首に「バキッ!」という音と痛みが走りました。
筋肉で足首を固定してバタ足をしていたのに、それを柔らかくしようと力を抜いたので、靭帯や足関節の軟部組織に負担がかかったのだと思います。
その後、近所の接骨院に通うも寛解せず…
体育も見学が続き、1年間で7箇所の医療機関を回りました。
最終的に調べて行った病院で「これはオペしないとダメだよ。」と言われオペをしたのですが
その見学をしていた時に見かねた体育の先生が「テーピングを買ってきたら巻いてあげるから。」と仰って下さり
テーピングを巻いてもらった事がきっかけで、テーピングに興味を持つようになりました。
巻いてもらったテーピングが凄かったんです。泳いでも全然痛くなくて。
また、当時のスイミングのコーチに「本当は治ってるんだろ?」など心ない事も言われていた事もあり
「自分は、ケガをしている水泳の選手にもちゃんと対応できるインストラクターになろう。」と、当時思っていました。
スポーツトレーナーという職業との出会い
テーピングの事を調べていると、スポーツトレーナーという職業があるという事を教えてもらいました。
そこから私は、スポーツトレーナーになろうと決意。
鍼灸師の学校や柔道整復師の学校も勧められていたのですが
治療家とスポーツトレーナーが当時結びつかず…
結果、スポーツトレーナー養成専門学校に行く事に。
そこでの実習で様々な経験をしました。
辛い経験ももちろんしました。何もしてあげられない事への葛藤も。
また、自分の言葉が大人に届かないという事も経験。
私が言っている事と、実際に国家資格を持った人が言っている事が同じでも
なかなか私が伝えても伝わらない現実に国家資格を取る事を決意しました。
資格があってもなくても関係ないと言う方もいますが、最初の段階で相手を安心させる為にも資格はあった方が良いと思います。
柔道整復師になる!
1年間治療院のグループ会社に勤めましたが利益優先の不正請求が横行している会社で、嫌気がさしてしまいました。
「こんな柔整師、いつか見返してやる!」と思いながら退職後、スポーツトレーナーをしながらフリーターに。
フリーターでしたが、この間もしっかりと貯金だけはしていました。学校に行くと言う部分はブレなかったので。
当時22歳の私は、「30歳までにお金を貯めて学校に行こう」と思っていました。
その話を、今勤めている会社の社長に伝えたところ「今行った方がいいよ。」と言われました。
資格を早くとって経験を積んだ方が良いと言う事でした。
親が車を買う時にお金を出していた事もありますが当時の貯金は75万。
それが7月のお話。
社長と話をしたその日のうちに東京都内、神奈川県内の専門学校と学費を調査。
そこで通えそうなところを絞って学校見学に。最終的には学費の安い学校を選びました。
と、言うのもまずは1年分の学費を納めたらその後は奨学金で通うつもりだったからです。
入学金、1年分の学費はトータルで125万円。
あとは、残り50万を6ヶ月で貯められるかが勝負でした。
なので、スポーツトレーナーの活動もやめてバイト漬けに。
友達の誘いも全て断りました。家に入れるお金、携帯代など払うものを払ったら全て貯金に。
そのお陰でなんとか学費もクリア。23歳の時に専門学校に再入学。
当初、家族から猛反対にあっていましたが、しっかりと3年間通い国家資格も取得して家族にも「おめでとう」と言ってもらいました。
最初から柔道整復師の資格を取っていたら、恐らく今の仕事にはつけていなかったと思うので、2校行った事に後悔はしていません。
両方とも奨学金なので、返済が大変ではありますが…。
ハワイ大学解剖実習との出会い
会社に入社後は整骨院、スポーツトレーナーとしての業務の傍らセミナー事業も担当しました。
その時にPRT療法を開発した布野先生の担当に。
布野先生はPRT療法と言う武器もありますが解剖学がめっちゃ好きな先生で
そんな先生と一緒にハワイ大学解剖実習に行くと言うパックも販売していました。
本当に、この仕事のお陰で勉強になっています。
その後3年間担当しておりましたが、布野先生と一緒に一般社団法人を設立。
現在はそのPRT療法よ解剖実習の事業を社団法人の方で請け負っております。
本当に解剖実習に行くと施術が変わります。考え方も変わります。
私は、解剖実習の経験は施術者にとってかなり有益であると考えていますので、現在その良さをちょっとずつお話して回っています。
(一社)日本治療家研究所HP:http://www.prt-brain.co
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