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お昼はピザでもとろうかね

さて、前にも少し予告しましたが、末期がんを患っていた母が亡くなるまでの最後の50日間(その前後の話も含めて)について、ぼそぼそと漫画を描いていこうと思います。私のことなんで実際に公開できるのがいつになるかはわからないですが、とにかく、描くことは決めました。

なんで50日間かというと、亡くなる50日前(数えたらぴったり50日でした!)の母の選択について、私は今でも時々考えることがあるからなんですね。母が亡くなって、しばらく経つ今も。

その選択が何かというと、「ピザを食べること」です(この記事のタイトルは、その日母からLINEで送られてきた言葉)。

母は消化器系の癌を抱えていて、病気のことがわかってからずっと、民間療法で「四つ足の動物を食べない」ようにしていました(牛とか豚は体に悪い、という説を唱えた本があるんです)。お米も玄米にして、もちろんお酒も飲まないで。

でも、「ああ、そろそろ病気の勢力が抑えきれないかもしれない」という兆候が見えてきたとき(当時は決してそんなこと認めたくなかったのですが、今思えばそういうタイミングでした)、彼女は「食べられるうちに食べとかないと」と言って、ピザを食べることを選びました。かなりもりもりと。

消化器系の癌なんだから、どう考えてもピザはやばいですよね。しかももりもり。

でも、そこからますます調子が悪くなってしまって入院したりしちゃったら、一生ピザが食べられずに死んでしまうわけです。

ピザを我慢したら寿命が延びるかもしれない。
でも、そこで我慢したらもう二度と(本当に、二度と)ピザが食べられないかもしれない。
かつ、我慢したからと言って寿命が延びるかどうかはわからない。

何にもないときだったら大した選択じゃないです、お昼に何を食べるかなんて。

後から振り返るとその翌日から急激に調子が悪くなったように思えて(母の言葉を借りると「崖から転げ落ちるように」悪化していった)、ああ、やっぱり、私がもう少し真剣に止めたらよかっただろうか、母の寿命を縮めたのは私なんじゃないか、と、そんな気がしていました。
でも、何が正しかったなんてずっとわからないんだから、本人がしたいほうを選んで楽しい時間を過ごせたことを肯定したいなと、今はそう思っています。
最近、私自身、食費を節約して貯金するより、そのときにすごく食べたいものを食べる方針にしているのも、この件の影響がかなり大きいです(もともと食い意地が張っているということには触れないでください・・・)。

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この漫画は、プロフィールに貼っているブログに載せていた漫画の、一応続きです。一瞬、noteの記事を再掲したりしてそちらのブログをまた耕そうかと考え、一部記事を追加したこともありましたが(サーバ料とか払ってるし)、最近はもう、向こうのブログは遺跡みたいにそのままの状態にしておこうかなという気持ちです。

そこに載せていた漫画をnoteに再掲しなかったのは、家族の鬱のことについても描いているので、noteよりもなんとなく奥のほう(全世界に公開しているんだから奥も何もないですが)に置いておきたいなという気持ちからでした。

じゃあ、ネットで公開するなって思うじゃないですか。
でも、私が死んだあとでも、遠くに住んでる人でも、同じ(っぽい)気持ちでつらい人にみてもらえる状態にしておきたかったんです。

たぶん、石田徹也さんの絵を知らない人生だったらこうは考えなかったと思います。

(高校生のときヴィレッジヴァンガードで石田さんの絵に出会った。上に貼った画集だと思っていたけど、そのとき買ったのは3000円くらいだった気がするんだよな・・・)

(何かもっと具体的にそう思った石田さんの言葉があったと思うのですが、思い出せないので、仮に今思いついたことを書いておきます)

石田徹也さんの絵を美術館で初めて見たとき、「この人とは話したことがないし、もう亡くなっているからこれから話すこともできないけど、この人とは気持ちをわかりあえる気がする」と思ったんです。

というよりもたぶん、話せないからこそそう思えたんでしょう。

似ている境遇にいる人と話すとほっとする一方、「似ている」と思うから、違うことがすごく気になるんですよね。この人は私よりまだましなはずだ、とか、この人に比べて私のつらさは小さい気がする、それなのに私はこんなにもつらい、私はなんでこんなにキャパが小さいんだろう、とか。期待してただけ、結局分かり合えないことに、ますます苦しくなる。

でも、誰かが発信したものを自分が一人で受信して消化するときは、勝手に、わかり合った気持ちになっていいから。

私自身のつらさは、一生、誰にも、本当の意味ではわかってもらえないと思います。

だけど、わかってもらえなくても、残しておくことにはきっと意味があると思うんですよね。私の知らないところで、わかるなあと思ってくれる人がいるかもしれない(私自身は、その人と私は違う!と思うとしても)

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家族のことは、他の漫画(「血が呪われてるからね」等)でも何回か描いていますが、ビジュアルを違う描き方にしたりしているので、これから描く漫画の主な登場人物を改めて紹介しておきます。漫画を公開し始めたら(そしてそのとき覚えていたら)、それぞれの人物の絵も貼りたいと思います。

■てる     
私。当時はアラサー。事務職、独身、一人暮らし。
(「てる」はnoteでは旧ハンドルネーム(ハンドルネームって今いうのか?)ですが、前述の遺跡のブログではこっちの名前にしているので統一してみようと思います)

■母
末期がん患者。私はすごく周りの人に恵まれた人生を送っていると感じているが、それでもこの人より優しい人に会ったことがない。
常に人のことを心配している。

■父
典型的なモラハラ男。
この人が末期がんだったらどんなによかったろうと何百回も何千回も思った。(しかし、こういう人に限って死なないようになっているのが世の中である)
ちなみに現在は基本的に絶縁状態。

■きょうだい1:パン 
当時ブラック企業勤務。独身、一人暮らし。
私が社会人になって家を出るまで同じ部屋(二段ベッド)で暮らしてたきょうだい。
互いに片付けが苦手で領土を侵犯しまくっていたこと等から仲たがいし、私が話すのをやめたため5年ほど一切口をきかなかった。
当時は父と並び、この世でもっとも死んでほしい人だった。
部屋問題についてはこちらのエッセイでも書いています。
       
■きょうだい2:ツボ
3人のきょうだいの中で唯一実家暮らし(当時)。
鬱病を患っている。
(現在はだいぶ回復しました。嬉しいーー!)

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