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終わらない夜販売機

毎日祈ったからか、人に親切にするように心がけたからか。どれがよかったのかは、わからない。

とにかく、私の目の前には、「終わらない夜販売機」がある。

終わらない夜販売機の噂は、Twitterで読んだ。情報を集約すると、およそ以下のような内容であった。

・一見、飲料の自動販売機のように見えるが、並べられているのは全て、文字も絵もかかれていない、黒い缶である。
・販売機に120円を入れると、購入ボタンが光る。押すと、缶が一本出てくる。一度に手に入る缶は一本のみ。
・夜中に缶を開けると、後述の方法で夜を閉じない限り、永遠にその夜を続けることができる。
・缶は密室で開けたときにのみ、その効果を発揮する。同じ空間の中にいる者、すべてに同じ効果がある。
・夜を閉じて時間を再度進めたいときは、缶の中身を飲み干すか、缶の中身を缶を開けた者がいる空間の外に出すこと。
・自販機は、いつ、どこに出没するかわからない。

11月1日、夫に、臨時召集令状が届いた。
召集日は12月1日、とあった。夫はけして体が丈夫な方ではないが、彼程度の健康状態では、もう免除にならなくなった、ということらしい。

11月2日から、私は夫を戦地に出向かせない方法を、血眼で探し始めた。
どこかに逃げれば、とも考えたが、逃亡したり、隠れたりしていたことがみつかると、最悪の場合、親類の家に火が放たれてしまうこともわかった。私にとっては夫が唯一の家族だが、夫の両親は健在だし、夫にはきょうだいもいる。

つまり、魔法でもなければ、夫は救えないのだ。

11月10日、私はひそかにTwitterが生きていることを知る。怪しげな情報でもいいから、役に立ちそうなものはすべて読むことにした。そうして知ったのが、終わらない夜販売機の噂だった。

高校の中庭、元ソープの向かい、公民館の裏手、オフィスの5階。
出没情報を見ても、傾向はわからなかった。
だから、とにかくあちこち歩き回った。

そして、とうとう遭遇を果たしたのだ(ちなみに場所は、駐車場の脇である)。
今日は11月30日、現在時刻は20時35分。

***

20時45分。

おかえり、という夫の横をこそこそすり抜けて、私は台所で缶を開けた。

特に何が起こるわけでもない。何の匂いもしない。中身を確かめようと小さな穴に目を近づけると、夜の海みたいに、液体が真っ黒く揺れていた。

缶を倒さないように、シンクの奥に移した。ふと見ると、台所の時計は仕事をやめている。念のためにリビングに出て壁の時計を確かめると、こちらも秒針が固まっている。

早足で廊下へ向かう。「お茶でも飲む?」と夫は聞いてくれるのだけど、「ごめん、トイレ」。

急いで出掛けたから、ずっと我慢していたのだ。
腰掛けると、何よりも先に涙が出てきた。
よかった。これで大丈夫。
これから私が悩むべきことは、この夜をどのように過ごすか。永遠の、夜だもんな。なんでもできるな。それでも眠くなるのか、お腹はすくのか。わからないことばっかりだけど、少しわくわくしてきたな。
まずは、しまいこんでいた台湾茶でも淹れて、夫と飲もうかしら。密やかな祝杯だ。

この一ヶ月、夫は、愛読書を暗記するのだと意気込んでいた。頭の中に入れておけば、いつでもどこでも楽しめるから、と。結局、暗記はできなかったとしょげていたけど(夫はどちらかというと何かを作る方が得意だ)、まあ、人生、最後には帳尻が合うということだろう。

鼻唄を歌いながら台所に戻ると、シンクに黒い膜が張っていた。缶の位置は変わらなかった。時計は、また動き出していた。

最後に、夫が佇んでいた。
拭う素振りすら見せず、涙をだらだらと流しながら。

「変だと思ってたんだよ」夫は言った。
「はなちゃんはこの1ヶ月、ずっと僕と話してくれなかったから」

「僕も、知ってるよ、この缶」ここぞという場面の夫は、なんで一人称が僕になるのだろう。
「僕も、Twitterで、読んだんだよ」

このご時世にどこで印刷したのか、夫は、ツイートの内容がプリントされた紙を持っていた。見覚えのある販売機の写真に、こんな文言が添えられていた。

「☆魔法のドリンク眠り姫☆ 飲んだら永遠に起きられないヨ!」いいね、は23件。

「また、帰ってきたいと思ってるからさ」夫の声は、時々裏返る。
「だから、最後に、寝る前に、一緒にお茶飲んでよ」

矛盾してるよ、と言いかけて、やめた。
ナンパみたいだよ、とも思ったけど、この言葉も飲み込んだ。

今日は優しくしなくっちゃ。

台湾茶はどの箱に入れたかな。どこにしまったんだっけ。

あと3時間で、明日がやって来る。

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