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魚は飛べず、雨に惑う

彼女は、ずっとそこにいた。

金曜日。
昼には遅く、夕方には早い大雨の日。
傘も差さずにただただずっと。

橋の下を眺めていた。

『ずっと』というからにはそれはもう相当に長い時間、彼女はそこにいて。
何時からそこにいたのかは、自分も数字を確認する術がなかったからわからないけど。

少なくともさっきの通り昼には遅く、夕方には早い頃にはすでにいて。

すっかり暗くなってなお、夜になってなお彼女はずっとそこにいた。


橋の端。

移動することなくずっとそこに、彼女は何をするでもなく下を眺め続ける。

時折、橋の……手すり、それとも柵でいいんだろうか。
調べてみたらあれは欄干って言うらしい。
ひとつ知識が増えた。

その欄干に両手を付けて下を眺めて──手を離して、くらいの動きはしていた。
逆に言えばそのくらいだ。

雨に打たれるままに、全身びしょ濡れで。

彼女は、ずっとそこにいた。






【頭では分かっていてもできない】

そういったことがよくよくある。

「朝早く起きる! 5時起きするんだ!」と決めても二度寝してしまう。
「毎日筋トレする!」と決めても、つらくて続かない。

やったほうがいい、って分かっているのにできない。
合理に背いた不合理な行動に自分を責める。

なんでできないのか。

『頭』が理解しているのなら、拒否しているのは『心』とか『感情』……になるんだろうか。

なぜ合理的な判断を蹴ってまで、『心』や『感情』が拒否しているのか。
そこに思考が届くのなら、【頭では分かっていてもできない】ことと上手く向き合えるんじゃないか、と今なら思う。

なぜできないのか。
拒否してしまうのか。

それを『いけないこと』『意志が弱い』と結論付けて、『頭』に背く『心』や『感情』を蹴飛ばし続けるのであれば。
目を背け続けるのなら。

それもそれでひとつの選択ではあるし、他人が勝手に否定していいものじゃないけれど。

……………………。


まぁ、彼女が橋の下に何を見出していたかなんて、通りすがりの無関係な他人である自分にわかるわけがなく。
そんな烏滸がましいことするほど豪胆でもなく。

だいたい、人の考えてることがわかる人なんて。
いるわけがないんだから。

個人の思考ほど強固なセキュリティーに守られてる情報データなんてそうそうないでしょ、って。






────当時のことを思い出しながら、『その時』の感覚にできる限り寄せたつもりで書いてみたつもりだけど。

そうは言っても、今と当時とのズレはある。

だってまぁ。
多少の脚色が含まれてるかもしれないけど、現実にフィクションは混ざって然るべきですからね。


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