大学生の俺がオーストラリアで1ヶ月ちょっと🤏ポーカーだけで生活した話。①
大学4年の冬、就職前に一度やりたかったことをやろうと思った。
それは「長年愛したポーカーだけで生活する」こと。
ポーカーは、高3の冬に友達に教えてもらい、最初はルールもよくわからないままま始めたが、1時間ちょっとやっただけで思った。
「まじでおもしろい。」
俺は小学生からサッカーをやっていて、高3の秋にサッカーを引退した。
そんな中、出会ったポーカーはサッカーの次に、熱中する予感がこの時すでに感じていた。
大1になった俺は、バイトができるようになり、少しずつお金が増えるようになっていくと、カジノに行って、本場のポーカーを味わいたいと言う気持ちが高まっていた。
しかし、当時大1で俺は18歳であり、海外のカジノは基本的に20歳からなので、待つしかないと思っていた。
しかし、調べてみるとあるではないか、直ぐ近くにポーカーができる国が。
そう、韓国。
19歳になった瞬間に、俺を含め3人で、わけもわからぬままポーカーを求めに韓国に飛びだった。
韓国ではウォーカーヒルがテキサスホールデムをできるカジノだった。
(パラダイスシティができる前)
電車の乗り方もわからない、タクシーの運転が荒い、電車の座席が硬い、そんな状況の中、かなりの時間をかけてウォーカーヒルに到着した時には、
初めて行ったラブホテルの10倍は興奮した。
そして、パスポートをドヤ顔で見せ、
カジノに入り
少ない金を握りしめ、I want to poker
を連呼し、
なんとか座れたテーブルは
2-5
最初なのに高くね?
俺もそう思った。
チップ1枚500円かよ。
イカれてやがる。
たぶんだけど、当時ウォーカーヒルは2-5が1番低レートだった気がする。
(違うかもしれないけど)
とにかく、2-5に座り、隣のちょいキモい中国人にガン見されながらも、着席。
その時は100bbを持ってテーブルに座ることが普通ということを知らず、
40bbの2万から初めた。
今思えば、fishがきたと思われてたんだろうなぁ
ブラインドの出し方もいまいちわからないし、ボタンなのに、ブラインド出してるやつなにこいつバカなの?
とすら思っていた。
そんなことを考えながらも、ハンドを待つ。当時の俺はハンドレンジなんて知らない。
AA KK QQを待つ。
CB?なにそれ?
トップペアになった時はスロープレーでしょ?
ブラフ?聞いたこともない。フォールドでしょ。
その結果、、、
2万から7万に。
なんと5万も勝ったのだ。
たった、5万かよ。
そう思ったやつはすぐに、この俺のノートを購入して欲しい。
たった100円だぜ。
(まあ無料だけどw)
とにかく、俺は初の海外のポーカーで勝った。
(この時は忘れもしない)
友達はすぐに2万負けてしまったので、せっかく行ったカジノには、結局4時間くらいしかいなかった。
その後一泊して、日本に帰国。
ポーカーをするために、計2泊3日したのに、プレイ時間は4時間。
最初だからこんなもんだろう。
こうして、俺の初めての海外でのプレイに幕を閉じた。
それとともに、ポーカーに愛され狂わされる人生が始まるのである。
第一話 完
第二話に続く。
【プロフィールのブログサイトでは、マニラでの専業生活やポーカー上達方法も記事にしています】
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