アークティック・モンキーズ『AM』から10年、記憶と雑感



2013年、俺は17歳だった。


2013~14年の空気感ってのがある。
多分意識せずとも自分史とリンクしてる部分があるからふわっとした雰囲気でしか語れないけど。でも確かにある。
2012年まではゼロ年代の残り香があったが、13年は本格的にテン年代が始まった年だ。
例えばThe 1975やディスクロージャー、ハイム、ブラッド・オレンジなんかは明らかに「音が新しい」と感じたし、ロードの"Royals"がバカ売れしたり、ダフト・パンクの"Get Lucky"やアルバムが過去の音楽を自分たちの歴史を通して再定義したり、あるいはケンドリック・ラマーやフランク・オーシャン(この2人はこれより少し前から居るが)がメインストリームに現れたり、とにかくサウンドもビジュアルもそれまでと一線を画すやつらが出てきた感じがあった。今になって思えば、2010年代の立役者が出揃ったのが2013年だった。

あるいは、『あまちゃん』が流行ってたり、みんな『月曜から夜ふかし』見てたり、クラスの女子は皆髪型をミディアムボブにして『テラスハウス』見てた(テイラーのあの曲もバカ売れしてた)。皆「今でしょ」を連呼してた。POPEYEは前年にリニューアルしてハイセンスなシティボーイを量産するようになった。
翌2014年にはSEKAI NO OWARIが「Dragon Night」を、三代目 J Soul Brothersが「R.Y.U.S.E.I.」をリリースした。この2曲は、「JPOPなのに一番盛り上がるところ=サビに歌がない」という意味で画期的だった。完璧なEDMだった。
きゃりーぱみゅぱみゅが「にんじゃりばんばん」を出した。tofubeatsが「Don't Stop The Music feat.森高千里」を出した。AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を聴いてCDを買いに行った。凄くいい曲だと思ったけど、同時になんとなく「AKBの時代がこれから終わっていくのかもな」とも思った。

高校に入ってからどんどんガラケーからスマホに替えるやつが増えていった。まさしく移行期だった。iPhoneが少しずつ普及しだしていた。俺はずっとiPod touchをWiFiに繋いで使っていた。
SNSといえばTwitterとFacebookで、mixiが廃れてきてた。Tumblrはそんな流行らなかった。インスタはまだ出てきたばっかだった。クラスの一軍女子みたいな洒落た人しか使ってないイメージ。ストーリーなんかもちろんないから、皆フィルター加工した写真を毎度投稿していた。Twitterでは数千~数万RTされたバズった投稿が(まだ「バズる」という言葉はなかったが)TLに流れてくるようになった。皆当たり前にYouTubeを見ていた。SNS社会が本格的に始まる感じの時期だった。

俺は生まれて初めてバンドを組んだ。
音楽の趣味が合う奴らと、高校生だけでライブハウス借りてイベントをすることになった。でもまだエフェクターすら持ってなかった。右も左もわからず、でもBass on topに通って練習した。

これから少しずつ色んなものが変わるんじゃないか、みたいな予感がした。




2013年9月3日は火曜日だった。

今では洋楽の新譜は金曜日発売だが、当時は水曜日発売だった(邦楽は今も水曜)。そして発売日前日には店頭に並んでいたので、火曜日にはフラゲでひと足先に新譜を買うことができた。
当時はストリーミング配信などなかった。CDを買ってパソコンでiTunesに読み込み、それをiPodに同期して聴くのが自分の聴き方、というか皆その聴き方だった。それ以外なかった。

10年前の今日、アークティック・モンキーズの『AM』がリリースされた。

本国イギリスでは9月9日リリースだったが、日本先行で9月4日に発売だった。フラゲで俺は9月3日に買った。梅田のNu茶屋町のタワーレコードで学校帰りに買った。オマケで配ってたうちわももらった。

一聴して、直感でこれはとんでもない大傑作なんじゃないかと思った。それは当たっていた。良くも悪くも、その後ロックという音楽自体が苦境に立たされていく中、この『AM』の輝きは今も色褪せることなく現在に至る。そしてアークティック・モンキーズというバンドは2010年代を通して、そのプロップスを保ち続けた。ロックバンドが求められるものに真正面から応えながら、しかしジャンルや世代を超えてここまで支持されているバンドは、世界中見回してもほぼ唯一ではないだろうか。

完璧なロックンロールでありながら、ロックンロールのクリシェを難なくかわし、マチズモを相対化し、自己憐憫に浸る男のカリカチュアを描き、そして笑い飛ばしてしまう。そしてブラック・サバスのリフと、ドクター・ドレーのビートの合体。ヘヴィメタルでもあり、ヒップホップでもあり、R&Bでもあり、ソフトロックでもある12曲は、10代のガキからすればそれはあまりに大人っぽかった。最高にクールだった。

翌年、SUMMER SONICでヘッドライナーとして来日した彼らを観た。およそロックンロールバンドとして考えうる全ての格好良さをまとっていた。この時代に彼らを観れることはとんでもない幸福なことだ、と感じた。「2013~14年のアークティック・モンキーズを観た」というのは、俺にとっては「1972年のローリング・ストーンズを観た」というのと同じくらい価値がある事だと思ったし、それを体験したことを誇らしく思った。世界最高のロックンロールバンドのライブはすべてが眩しく、10代のガキの人生を狂わせるには充分だった。

初めて組んだバンドで出たライブでは、"R U Mine?"をやった。俺はギターボーカルだった。他にもアークティックの曲や、グリーン・デイの曲なんかをやった。歌は下手くそだし、レスポールの音抜けは悪いしで大した出来のライブではなかった。しかしそれ以上に人前で音を鳴らす、ステージで注目を浴びることの興奮が勝った。何より出演するバンドも、客も、みんなエネルギーを持て余した高校生だった。楽しくないわけがなかった。






10年経ち、俺は27歳になった。

アレックス・ターナーが『AM』を作った時、27歳。

カート・コバーンがショットガンで頭をぶち抜いて死んだ時、27歳。

一昨日のライブで、「2020年代を作っていこう」って言ってたTohjiも27歳。

俺もなんかやらなくちゃ、ずっとそんな気持ちで悶えてる。
無駄に歳だけ食い、大して何も出来ずにくすぶり続けている。いつの間にやら10年。こんなとこで何してる?俺なんでここにいる?
別に人に評価されるために生きるわけじゃないから、どう思われようといいんだけど。でも自分が欲していたものとか、「なりたい理想の自分」が自分の中にいたことすら忘れそうになってきてる。大人になるってことが、子どものの自分の心を失くしていく事なんだとしたら、俺は大人になりたくない。
10年前の俺がこの体たらくを見たら間違いなくキレるだろう。もう自分のことを「若者」と呼べる歳でもなくなってきてる。タイムリミットは近い。というかそれはとうに過ぎて、今はロスタイムか。それでも現実とやらに丸め込まれ、夢見ることを笑うようになったら終わり。その前にくたばりたいね。
焦ったって無駄だし、人の目気にしたところで誰も責任取ってくれないし、ストレス溜まってまた失敗を繰り返すだけ。10年かけて失敗しまくったから俺はその辺よく知ってるんだ。自分のやり方でやりたいことやるしかない。









何の話?



書いてるうちに訳わかんなくなってきた。感傷的すぎる駄文だな。ナイーヴにも程がある。

またちゃんと整理して書きたい。腐るほど書くことはある。



俺はロックンロールに人生狂わされた。後悔はしてないけど。
その原因のひとつとも言える罪深いアルバム。今日で10周年。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?