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ともだち

元気にしてるかなぁ、と思い出したのなら、すぐに連絡を入れること。

会いたいなぁ、と思ったのなら、会いにいくこと。会いたいと伝えること。

近くで用事があるのなら、ついでだっていい、もうそれは、会おう!!!


自分の中で思ってるだけじゃ、ぜんぜん相手には伝わらない。

存在が嬉しい。いてくれて嬉しい。思い出がたくさんあることが嬉しい。その思い出を楽しく語り合えて嬉しい。出会えたことが嬉しい。よく笑ってくれることが嬉しい。笑わせてくれることが嬉しい。わたしはあなたが好きで、これからも会いたい。元気で楽しく穏やかにくらしていてほしい。


学生時代に親しかった友人の、とても辛い近況を人づてに聞いて、何ができるのかを考えている。

全てのSNSを退会して周りとの関係を断ち切り、ただ家庭内の状況は悪化の一途のようで、第三者の介入が必要なように思う。その第三者にわたしが適切ではないことは明らかかついま国境を超えて会いに行くことは物理的に不可能だ。けど、だからこそちがう形で想いを伝えられる方法がないのか、サポートする方法がないのか考えている。


すべての大切な友人たちに、そして家族にも、自分にも、忘れないように書いておきたいけれど、

自分自身がどんなに自分のことを嫌になっても、あなたのことを、いるだけで嬉しいと思っている人たちが必ずいる。会いたいなぁ元気かなぁと時折思い出してくれている人たちが必ずいる。次に必ず元気な姿で会えることを信じて疑わない人たちが必ずいる。

苦しい状況になると忘れてしまうけど、自分が大切な人たちを想うときのその気持ちは、そのまま誰かが自分に対して抱いている感情なのだ。

頼られて迷惑だなんて自分が思わないように、相手のことを頼って大丈夫。




また別の高校からの友人で、その友人当事者のいない誕生日を、彼女のお母さんと親しい友人たちとお祝いしたことがある。ピザをとって、大きな花束を飾って、皆でケーキを食べて、写真を見ながら思い出話をする。なるべく楽しく、明るい雰囲気になるように。友人のお母さんが、ひとときでも楽しい気持ちになってくれるように。

でもその場の全員が同じことを思っていたとおもう。彼女がいないことだけがどう考えてもすごく変だった。彼女が実際この場にいて、こんな風にみんな勢揃いでお祝いができていたならどんなに楽しいだろう。

何度か続いたその集まりは、ご両親の体調不良がきっかけで自然消滅した。


別れるときには必ずアメリカ仕込みのハグをしてくれた。そのいかにも強そうな華やかな外見からは想像もつかないほど、優しくて素朴で感激やさんで泣き上戸で、誇張でなくわたしもみんなも彼女のことが本当にとても好きだった。

悲しいとかこうしてあげればという後悔の念は時とともに薄れて、ただいまは純粋に、会いたい。だけど会えない、という現実だけが残るのだ。



自分が親になり、子どもを見ていてあらためて、親や家族にはカバーできない友達の存在の重要性やパワーをより感じるようになった。まだ言葉もおもうように操れない、たった二歳の子にとってすらも、友達の存在はすでに大きい。


ただの友達である自分にも、きっとできることがあるはずで、ただの友達だからこそできることを探したい。

会いたいなぁと思われて嬉しくないひとなんていない。会いたいきもちをまずは伝えたい。

サポート、なんて大それたことじゃなくて、まずはただ本心を伝えることから。






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