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【エッセイ】想像できない未来について、親と話ができるのはいつまでだろう?

平日、特に何も用事は無かったが、実家に立ち寄ってみた。
快速の電車でたった一駅の実家。
東京に住んでた頃は長期の休みでしか見せられなかった孫の顔を、少しでも頻度高く見せてあげたいと思い何かと理由をつけて立ち寄るようにしている。

長女は保育園のため、次女だけ連れて行った。
まだ言葉も話さず、寝返りに次ぐ寝返りで横移動を懸命に頑張る小さな存在を、父も母も、そして私の祖母たちも手を叩いて見守ってくれた。

どんな子になるんだろうねえ。
お姉ちゃん(長女)と顔はそっくりだけど、性格はまた違うんだろうねえ。
そんな会話を笑顔で楽しむ瞬間もあるが、基本的にはうちの実家の空気はどんよりしていると思う。

色んな事情で、父と母の両方の母(私から見ると祖母)を実家で介護している。
まだ食事や排泄は自力でできている祖母たちだが、アラウンド90歳の年相応に物忘れや、思わず「え?」と目を疑いたくなるような行動が見え始めているそうだ。

そんな姿に悲しくなったりイライラするのと同時に、父と母はそう遠くない未来の自分たちの姿を重ねてみているのだろう。
いま自分達が親に対して心の何処かで覚えている、決してきれいではない色の感情を、私や姉には感じさせたくないという意思を所々で感じる。

性格が変わったと思ったら、すぐに施設に入れて欲しい。
墓は面倒なら、もうしまって永代供養してくれていい。
あの土地は、あの預金は、あの保険は…
そんな話を聞かされると、嫌でも「終わり」を意識させられて正直あまりいい気持ちにはならない。

それは、どんな子になるんだろうねと予想もつかない孫の未来にドキドキする話とは180度違う、あるべきゴールに向けたやることリストの静かな確認だ。

そんな両親に対して、「まだそんな話いいやん、もっと楽しいこと考えれば?」なんて、少し反抗的な態度を取ってしまう私であった。

将来の夢や、進路や、就職先や、結婚について1番近くで相談していた両親。
見えない未来について、いつも少し先を走る人生の先輩として明かりをつけて導いてくれていたのに、いつから私達は想像できない未来について話すことをしなくなってしまったのだろう?


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