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【エッセイ】最近話題の「経験格差」について考える話

明日から急遽、二泊三日の家族旅行に行くことになった。

夫の夏休み休暇が余っていて、
夫が出張で貯めた飛行機のマイルが余っていて、
インスタで見た楽しそうな家族連れ用のホテルがたまたま空いていて、
じゃあ行っちゃうか、という軽いノリで今週に入って予約を済ませた。
あとは今日明日中に、娘たちの体調が急に崩れないことを祈るだけである。

昔、自分が子供の頃は、家族で旅行に行くといえば年に一度夏休みに父親の故郷に帰省するくらいだった。
それも自家用車で行き、泊まり先は父親の親戚の家で、レジャーといえば海水浴に行く程度だった。
それでもとても楽しい思い出として記憶には残っているが、いま思えば、自営業の父親の商売が決して順調では無かった自分の子供時代。
両親としてはその旅行にかかる費用でさえも、1年かけて計画的に積立てて、やっとの思いで行っていたのだと思う。

それと比較すると、いまの我が家はかなり裕福なほうだ。
マイルで交通費は賄えるとして、そこそこ高いホテルに二泊三日する決断が、秒でできる程度の余裕はある。
娘に欲しいものをなんでも無尽蔵に与えているわけではないが、知育に良さそうな本やパズルであれば、誕生日でもない日に買ってあげることもある。
習い事だって、本人の記憶には残らないような2歳のころからスタートした。

親の経済力が、そのまま子供の学力に結びつくということはよく聞く。
学力に直接関係するかどうかは分からないが、確かに親に経済力があれば、子供が経験できることの幅は広がると思う。

一方で、何でもかんでも、経済力を頼りに子どもが望むままに与えてしまってよいのかという葛藤もある。
働くことで手にするお給料の尊さや、そのお給料があってこそできる経験の貴重さを、親として伝えていく意義もあると思う。
かと言って、経済的な理由で欲しいものが手に入らない、やりたいことができない、特に「周りの子が持っているものに自分の手は届かない」という経験は、心の何処かに卑しさや妬ましさという気持ちを芽生えさせることも否めない(自分自身、幼少時代にそういった気持ちを確かに持ったことを覚えている)。

子どもに何をどこまで与えて、与えたものに対して何をどこまで説明するか。
難しい課題を感じながらではあるが、明日からの旅行は楽しいものになることを祈っている。




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