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褒めて

僕には中学生から高校生にかけて自信を失い続けた歴史があります。

その歴史に果てに生まれた僕は、弱い自分を必死で隠し、自分を強く見せようとすることに必死になっている、かわいそうなやつでした。

ちょっとしたアドバイスや注意も攻撃と捉え、戦闘モードに入る、そんな危ういやつでした。

わずかな自尊心の火が消えないよう、奮闘する、そんな必死なやつでした。

そんな僕でしたが、大学でこんな自分も認めてくれる人と出会い、自分の良さを見つけてくれる人に出会い、小さな成功体験を増やしていくことで自分に自信をもてるようになってきました。

そんな時期にこのnoteを始めました。

このときの僕は夢や理想をキラキラとした文章で綴っていました。

圧倒的な自己肯定感で守られていたので、自分を脅かす敵なんてどこにもいませんでした。人のミスはもちろん、ちょっとした悪意でさえ許すことができました。

僕はこのときの自分が大好きです。

人に優しく、向上心があり、自ら学び、新しいアイディアを次々と生み出し、何より自分を否定しない。そんな自分が大好きでした。


 では現在の自分はどうでしょうか。

 最初は大学時代の自己肯定感の貯金がありました。

 だから、注意やアドバイスも素直に聞き、改善に繋ごうと努力することができました。

 しかし、年が明けたくらいから。

 何かがおかしくなってきました。

 なぜか頑張ろうと思えない。

 アドバイスや注意を聞くと怒りが込み上げてくる。

 子どものできていないところにばかり目がいってしまう。

 何より、

 自分を信じられない。

 自分に価値があると思えない。



 以前の自分に逆戻りです。

 って・・・、戻ってたまるか!!

 僕には教訓があります。

 今の自分を冷静に客観視することができます。


 今の僕に足りてないもの。

 それは教師としての実力や人間力なんかではなく、

 自己肯定感。

 これにつきると思います。

 全ての問題は自己肯定感の低下に伴って発生し始めました。

 この大元の問題を叩けば全ては解決すると思われます。

 そうとわかれば話は早い。なぜ自己肯定感が下がっているのか原因を突き止め、その原因に何かしらの対策を打てば良いだけです。

 原因を特定します。

 特定できました。





「褒められ不足」





 です!!

 結構嫌ですよ。

 こんなだっさいこと言っている自分を曝け出すの。

 でも、ださくてもなんでもいいです。

 僕の心の叫びを聞いてください笑

 最近注意されることばっかりで、全然褒められてないんですよ。

 あまりにも注意ばっかりだから、僕は自尊心の火を守ることに全集中です。

 「成長しよう」とか「改善しよう」とか頭では思っても、全然気持ちが追いついてきません。


 授業についてダメ出しされる時にいっつも思います。

 「確かにダメかもしれないけど、一応土日一生懸命教材研究しているんだよ・・・。『いつも頑張っていて感心する』その一言だけでも言ってくれたら・・・頑張りだけでも認めてくれたら・・・」

 って。

 不注意を指摘される時にいっつも思います。

 「不注意はこっちが悪いかもしれないけど、こちとら年間の見通しももてない中で、目の前のことに全集中しながらやってるんだよ・・・。頑張っていることだけでも認めてほしいなあ」

 って。

 注意ばかりされると、闇落ちします。

 注意ばかりされ続けると

 レベル1「どうして自分はできないんだ・・・」

 レベル2 「あーはいはいどうせ自分はできませんよ」

 レベル3 「どうせ自分は役に立たないから、いいやー。迷惑かけてもいいやー。」

 って感じで、どんどん無敵モードになっていきます。

 なんか自分、レベル3に近づいている気がしますもん。


 だからさ・・・。お荷物教員増やしたくなかったらさ・・・褒めてよ😭

 頑張りだけでも褒めてよ

 ちょっとしたことでも良いから褒めてよ

 同期と比べないでよ

 自分にも良いところあるでしょ?悪いところばかりじゃなくてさあ。こっちも見てよ。


 子どももおんなじこと考えてるんだろーなー。



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