なぜ僕が学級経営が下手なのか分かった!!
結論から言うと、教師の仕事は子どもを育てることにも関わらず、自分自身を育てることに躍起になっていたからです。
言い換えると自分ばかり責めて、子どもを全く責めなかったからです。
この本を読みました。
本の中で学級経営の成立要素を表すピラミッド図が出てきます。一番下の土台となるのが「子供との信頼関係」。二段目にくるのが「子ども一人一人の基礎的資質」。そして最後に積み重なるのが当番や掃除、授業方法などの「一般的な学級づくりの要素」です。
それぞれの要素についての自分の意識を評価していきます。
一段目。意識していました。どんな優れた指導技術があっても、子どもとの信頼関係が結ばれていなければ指導が入りませんよね。「何を言うか」より「誰が言うか」が大事なのはよく言われることです。
二段目。意識していませんでした。意識してなかったというより、「自分の技術が上がれば自ずと子供は育つ」と考えていた節があります。だから、子供が育っていなければ自分の責任だと捉え、自分の技術が上がるよう、勉強していました。
三段目。意識していました。どうしたら子どもが快適なシステムになるか。どうしたら子どもがノッてくる授業ができるか。それをずっと考えてきました。前述したように「自分の技術が上がれば自ずと子供は育つ。」と考えていたからです。
とはいえ、この考えは完全に間違いというわけではないでしょう。僕が授業がうまくなれば子供は育つでしょうし、効率的なシステムを整備すれば子供は動きやすくなり、その中で育っていくでしょう。
ただ、こちらがいくら完璧なシステムや面白い授業を提供しても、それを受け取る児童の資質が育っていなければそれを100%受け取ることはできないでしょう。
これらのことを踏まえれば、僕の課題は明確です。自分を育てることに躍起になるのではなく、「子ども一人一人の基礎的資質」を育てるというマインドをもつことです。
子どもを育てることが僕の仕事なのに、いつの間にか自分を育てることに一生懸命になっていました。
自分の中で大きな大きなパラダイムシフトです。これまでうまくいかないことを全て自分の技量不足にしてきました。子供のせいにすることなど皆無でした(学校教育のせいにはしてましたが笑 すいません💦)。でも、今回のパラダイムシフトにより、「うまくいかないことをもっと子供の(資質が育ってないことの)せいにしても良い」という考えに変わりました。
なので、
挙手が少ないのは僕の発問が分かりにくいからだ、面白くないからだ→子どもに積極性が育ってないからかもしれない+僕の発問が悪かったかもしれない。
授業開始時に準備ができていない児童がいるのは僕の学級のシステムが悪いからだ→子どもに他者を思いやる心が育ってないからかもしれない+学級のシステムが悪いかもしれない。
学力が低いのは僕の授業がダメなせいだ→子どもに積極性やスピードが育ってないからかもしれない+僕の授業に改善点があるのかもしれない。
というように、バランス感覚の取れた反省ができるようにしていきます。
前年度とった「先生のあゆみ」の所見で、こんなことを書いている児童がいました。
子供達の前で「先生のせいだ」って言うことはありませんでした(多分)。でも、僕のこういったマインドをこの子どもは見抜いていたんだと思います。
だから、もっと僕は、言い方は極端ですが、もっと「子どものせい」にして、指導にあたっていけたらよいかなと思います。
今回内容には触れられませんでしたが、この本、めっちゃ勉強になりました。興味ある方はぜひ、読んでみてください!!
余談です。
僕は自責人間です。そして社会責人間でもあります。
まずは僕のせいにする。それで自分を責めることに耐えられなくなったら、なぜか身近な子どもや保護者をすっ飛ばして、学校教育や政府など、社会を責めます。
なんでこんな風になったんでしょうね笑
自責人間になったのは、おそらく「他責人間は成長しない」みたいなことがいろんな本に書かれていたからだとは思います。一種の強迫観念みたいなものになったます。
まあでも、自責人間だったからこそたくさん本を読むし、勉強します。おかげで指導技術も多少は上がったような気もします。
そしてなぜ社会責人間になったかというと、こんな心の動きが働いているからだと推測されます。
「自分を責めるのが辛くなった。だからといって他人のせいにしてはいけないという強迫観念がある。だから社会の雰囲気や仕組みのせいにしよう。」
なのでnoteで学校教育批判や社会批判のような記事を出していたら・・・
「あ。Puは今、自分を責めるのに耐えられなくなっているな。」
と、温かく見守ってやってください笑
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