僕の、先生として決定的に欠けている力が判明した。
今年度僕は4人の先生達と学年を組んでいます。僕以外は教職経験30年以上のベテラン達で、僕は安心して伸び伸びやれてます。ありがたい限りです。
また、若手である僕には比較的良い子達が集まっている学級が与えられます。ということは、他の学級に指導が難しい児童が配置されているわけです。
指導が難しい子の中でも、圧倒的に難しい児童を受けもたれている先生がいます。その先生とその、「難しい子」について話している時に、僕に決定的に欠けている力に気付かされることになりました。
👩🏫「あの子をどうしたものか・・・」
🧑🏫「(2年生とはいえ、もう決定的に人格形成されているよなあ)どこかで、やり直せたら良いのにって思っちゃいますよね・・・」
👩🏫「そんなことないですよ。あの子はまだ2年生。諦めるのは早すぎます」
🧑🏫「!!!(確かにそうだ・・・。みんなこんな気持ちでやっているんだ。かっこいいなあ・・・✨」
このやりとりの後、僕は自分の今までのスタンスを振り返って、いろいろなことを思い出します。
・授業を真面目に受けない児童に対して、「本人の責任だしなあ」。「こんな児童が出ないように来年度に向けて授業力を磨かないと」と放置していた1年目。
・何かあったらすぐ暴れる児童に対して、「もうこの子は変わらないわ」「来年度はこういう児童が困らないような仕組みづくりをしないと」と諦め、その場しのぎの対応をしていた2年目。
・授業が想定通りにかなくて、困っている児童が多発している授業で「この授業は失敗だった。何が原因だったんだろう」と目の前の困っている児童を二の次にして反省モードに突入していた、ついこの間の授業。
このような出来事で露呈しているのは、諦めの早さ。想定通りにいかなかった時の脆さ。泥臭く戦うことを嫌う、変なスマート意識。 でした。
僕は授業の反省や前年度の失敗を分析を基に、改善策を打ち出し、それによって少しずつですが成長してきました。僕の強みは、そういった「大枠を考える力」「戦略を立てる力」なのかもしれません。
一方で、前述したように一度建てた戦略がうまくいかなかった時、うまくいかずに泥沼戦に入った時、僕は非常に脆いです。そこに立ち向かうエネルギーもなければ、能力もありません。僕の弱みは、「泥臭く戦う力」「場当たり的な柔軟な対応」なのでしょう。
僕が、例の難しい子についての会話の中で「やり直し」を真っ先に思いついたのも、その子に向き合って泥臭く戦うことから逃げる気持ちがあったからに違いありません。
教職は30人もの子供と関わる仕事です。不確定要素が非常に多く、絶対的に効果的な手法は存在しません。
理論や技術は大体を動かすことはできるかもしれませんが、必ず予測できなかった漏れが出てきます。
だからこそ、先生に必要なのは「この子を何とかしてあげたい」と思い、泥臭く戦う姿勢なのだろうなって思います。
自分の先生としてのあり方を反省し、もっと泥臭く戦っていかなくてはいけないと思った今日この頃です。
よ〜し。シュミレーション。シュミレーション。
理論立てて考えた授業がうまくいかなかった時〜〜〜〜
「ここからは・・・泥沼戦だ!!(厨二風)」
と心を奮い立たせ〜〜〜
何が何でも、狙いに到達させるべく、泥臭く戦う!
戦略性と温かみを兼ね備えている、そんな先生でありたいものです☺️
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