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どんな子どもに育ってほしいか


 Qどんな子どもに育てたいですか? 


 
 





 A学習指導要領に書かれているような子ども。







 いや、そうなんですけど!!!!

 先生になった以上、あるじゃないですか。「こんな子どもに育ってほしいなあ」っていうの!

 僕にはあります。

 


丁度一年前くらいに書いた記事です。

ここで僕は、

「自分に絶対的な価値を感じられる子ども」

になってほしいと述べています。

そしてこの1年間、この考えをもとに先生をやってきました。

そして現在。

僕の、育てたい児童観は変わっているのでしょうか??






変わっていると思います??







はい。実は変わりました。






「自分に絶対的な価値を感じられる子ども」

こんな子どもを僕一人で、しかもたった一年で育てるなんて、無謀極まりないっ!!

ってことに気づきました笑

子どもは先生との関わりの中だけで自分の価値を感じられるわけではありません。

友達との関わり、

親との関わり、

たくさんの関わりの中で、長ーーーーい時間をかけて自分には価値があると信じられるようになります。

 それらを全てカバーし、学校内で変容させるのは、少なくとも今の僕にはできそうもありません・・・。

 

 教育の最終形態は

 「自分に絶対的な価値を感じられる人」

 という考えは変わっていません。

 人に優しくすることも

 社会に貢献することも

 自己実現のために努力することも

 自分に価値を感じることができて、初めてできることだと思っているからです。


 ですが、それをただの小学校教員である僕一人がたった一年で実現できるわけがありません(スーパー子ども食堂でも作れたら別かもしれませんが)。

 なので!!

 「困難は分割せよ!」

 です。

 誰が言っていてことなのか分かりませんが、僕は幾度となくこの思考法に助けられてきました。

 早速やっていきます。

 「自分に絶対的な価値を感じられる人」を育てること

 は困難です。

 では、どんな人が自分に絶対的な価値を感じられているかを考えてみます。

 パッと思いつくのは

 ・肯定された経験が多い

 ・逆に否定された経験が少ない

 ・たくさんの人に愛されているという実感がある

 ですかね。

 そして、ここで深く考えたいのが

 「能力の高さは自己肯定感に関係があるのか」

 というところです。

 勉強ができるから。スポーツができるから。

 こういったことは自己肯定感に関係するのでしょうか??

 ここはぜひみなさんにもお伺いしたいところです。ご意見待ってます!

 とりあえず、ここは自分の経験から話しますね。

 僕は能力の高さは自己肯定感に関係しないと思っています。

 僕は高校時代、それなりに上位の成績にいました(レベルが高くない高校だったので笑)

 その時の自分は自信満々の状態・・・だと、当時の僕は思っていました。

 でもあれって、何ていうんだろう・・・。「お前に比べて俺はすごいだろ!!俺を見ろ!すごいと言え!」

 そんな感じだったんですよね・・・(どんな感じ?)。

 「自分すげえ!」って思いつつ、満たされてない感じ・・・。

 結局それは、絶対的な自分の価値を信じられているというよりは、周りと”比べて”っていう相対的な自分の価値にしがみついていることになると思うんです。

 相対的に自分の価値を測るってすっごく危うくて、不幸になる人の大半がこれをしちゃってると思うんですよ。

 なので、能力の高さはマジで自己肯定感には関係しないと僕は思っています。

 じゃあ、能力は全く関係ないかと言われるとそんなこともないと思っています。

 僕は能力自体の大小ではなく、能力を人のために使い、貢献できた経験の積み重ねが自己肯定感を育てていくのではないかと思います。

 要するに、「誰かの役に立てている」そう思うことが自己肯定感を高めることにつながるのではないかってことです!!


 前提に戻ります。 

「自分に絶対的な価値を感じられる人」

 を分割すると

 ・肯定された経験が多い人

 ・逆に否定された経験が少ない人

 ・たくさんの人に愛されているという実感がある人

 ・誰かの役に立てている人

 なのかなって思います。

 

 最初の問いに戻ります。

 Qどんな子どもに育てたいですか? 






A否定された経験よりも、肯定された経験が多く、たくさんの人に愛されていて、誰かの役に立てる子ども



です!!!





 が!!!



 ”否定された経験よりも、肯定された経験が多く、たくさんの人に愛されていてる”

 これ、僕一人でできますか??


 うん。限りなく不可能です笑笑

 
 これは僕以外の要因も大きく関わってきてしまいますので。

 もちろん、教室内では意識するのですが!


じゃあ、僕が育てられる子どもはどんな子どもか。


A 誰かの役に立てる子ども

これなのかなって思います。

もっと言えば、

 

人の役に立つことの喜びを知っている子ども


 なのかなって思います。

 


 これもなかなか難しいですが、当初のものよりはやることがはっきりしてきました。

 「どんな子どもを育てたいか」

 がはっきりすれば、自ずと

 「どんな授業をしたいか」

 「子どもとどんな関わりをしていきたいか」

 「どんな学級経営をしたいか」

 が見えてきます。

 次回以降は、それらを考える記事でも書いていこうかな・・・。



 ここまで読んでくれてありがとうございました!!




 
 


 

 

 

 





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